2012年3月28日水曜日

三國志 三國時代なんですが三國志の時代は中国の長い歴史の中でも特に優秀な人材が...

三國志 三國時代なんですが三國志の時代は中国の長い歴史の中でも特に優秀な人材が排出されたいわば人材の黄金時代だ!


プロ野球で言えば三國志の時代は松坂世代みたいなもんだと豪語してます。

人材きら星の如くとか言ってる三國志ファンがいますが本当にそうなんですか?乱世ほど優れた人物が沢山現れるんだよとか言ってます。

私も中国歴史にはそれほど詳しくはないのですが統一王朝の方が優れた人物が多い気がしますが間違ってますか?

中国統一できなかった時点で少なくとも統一王朝より人材でおとる気がしますがどうなんですか?

春秋戦国時代のほうが優れた人物が多い気がしますしこの時代は統一思想がまだ芽生える以前なので統一王朝がありませんが三國志とはその点では比較できないと思います(最終的に秦が統一しましたが)。

回答お願いします。


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別にそう決め付ける事もないかと。

乱世だからこそ活躍できる人材というのは確かにいるし、逆に治世だからこそ能力を発揮する人材もいます。

乱世をアッサリまとめて統一できるような力量の人物がいても、同時代にそんな人が2人も3人もいれば結局乱世のままですし。



要は、時代が違えば比較なんてできないという事です。

乱世には乱世の面白さがあるし、治世には治世の魅力がある。

だから歴史は全般的に面白いのです。



少なくとも、私はそう思いますが、いかがでしょうか?



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人材キラ星のごとく現れた三国時代ですか…。なじみのある人物が多い、ただそれだけでしょう。諸々の書籍からゲーム、フィギュアと幅広く目にすることができますからね。でも三国時代は長い中国の歴史の中で100年にも満たない期間です。乱世っていうのは誰でものし上がるチャンスはあると思いますよ。明の朱元璋なんて、世が平和なら出てくるはずのない人物だったでしょうね、例えばですけど。そうしたら徐達は農夫として名を残すこともなく、劉基は地方の名士として名を残したかもしれませんが。赤壁の戦いも、元末の、は陽湖がモデルとされてますから、三国志の面白みは半減したかも(笑)。歴史に出てくる人物は、乱れれば平かにしようと努力する人、それを維持あるいは発展に努める人、また、それをぶち壊す人の3タイプだと思います。平和な世に生きる人間って乱世に憧れるんでしょうか?私は平和の方が好きですから、三国時代には生まれたくなかったですね~。過去に生きた先達を批判、批評するのではなく、彼らから多くのことを学びましょう。敬意を払って。中

にはそうではない方もいますけどね(笑)。



とまあ長々しい戯れ事を申しました。


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>統一王朝の方が優れた人物が多い気がしますが間違ってますか?



正論です。



少なくとも麒麟閣十一功臣を有してた前漢の劉詢(宣帝)、

雲台二十八将を有してた後漢の劉秀(光武帝)、

凌煙閣二十四功臣を有してた唐の李世民(唐太宗)あたりの方が人材も多く。



三国志の関羽も名を連ねてる武聖七十二名将でも、

雲台二十八将と凌煙閣二十四功臣が殆どの席を占めてて、三国時代の方は

あまり入ってないようですね。



ただ日本では、武聖といえば関羽しか知られておらず。

他の時代にも目を向けようとする方が少ないので、三国志が凄く見えるのでしょう。





>春秋戦国時代のほうが優れた人物が多い気がします



でも各国と年代ごとに大きくばらけてるので、同時代1国あたりに1~2人しか

いい人材がいなかったという状況なんですよね。





興味があるなら「小説十八史略」を読んだり、ネット小説のやる夫シリーズを

読んで他の時代の人材はどういう人がいたか見てみるのがいいでしょう。

http://kutugen.blog57.fc2.com/


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乱世に優れた人物がたくさん現れるのではなく、乱世だからたくさんの人に活躍のチャンスがあるのです。話が全く逆ですね。

そして三国時代は結局どの勢力も統一にまで至らなかったわけで、そういう意味では突出した人物が現れなかったと言えます。ですから相対的には乱世から統一王朝を築いた時代の人物よりも一段劣ると言ってもいいかもしれません。

秦の始皇帝や漢の劉邦、西洋で言えばアレクサンドロスやカール大帝のような弩級の英雄は出なかったわけですから。



三国時代のおもしろさはそれこそ色んな階層、思想、性格の人物が入り乱れて虚々実々のかけひきや離合集散をくりかえすところにあるわけで、ある特定の人物を取り上げて他の時代と比べるなんてナンセンス通り越して、全くの興ざめです。


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乱世はあっちこち戦争していますから、これに関する人材は治世より多いでしょう。

逆に政治に関する人材は治世のほうが多いです。

三国志ファンは大抵戦争が好きな人です(あくまで歴史の中の戦争ですが)、だからそう言ってるんでしょう。

実際三国志演義では、政治型の人物はかなり軽視されてます(記述的)。



そして、もし戦乱がなければ劉備、関羽、張飛、諸葛亮、郭嘉、司馬懿、呂布などもずっと無名のまま一生を過ごすことになるでしょう。

実際人材は多分どの時代でも同じくらいでしょうけど、ただその人材に活躍する場所がないから、歴史に名を残る機会がないから、人々に知られたことのないまま一生を終えたかもしれません。

ファミコン版『三國志Ⅰ』の顔グラが載っているサイトをご存知ありませんか!?どう...

ファミコン版『三國志Ⅰ』の顔グラが載っているサイトをご存知ありませんか!?



どうしても見たいのです・・・やっぱり三國志シリーズも色々あるけど、このときの顔グラが一番好きです!!


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全てでは無いですが色々の顔が見れます



【顔名鑑】

http://freeserver.name/~rineisyou/sangokusi/kaomeikan.html

三国志末期にお詳しい方にお聞きたいのですが、トウガイ、ショウカイ、カクナイ、...

三国志末期にお詳しい方にお聞きたいのですが、トウガイ、ショウカイ、カクナイ、カコウハ(ショク?)って、巍の武将ではないのですか?



次の真・
三国無双6では、彼等はシバシと同じく新勢力の晋武将として出ているので



(携帯漢字出ず)


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コーエーはまた嘘を広めようとしているのですか。

トウ艾、鍾会は確かに司馬昭の息のかかった人物ではありますが、形としては魏に仕え、魏の将軍のまま死にました。郭淮は最初から最期まで魏の将軍です。夏侯霸は魏に仕え、曹爽と仲が良かったため司馬懿が曹爽をクーデターで打倒した時に蜀漢に亡命しています。



司馬昭は264年、前年に蜀を滅ぼした功績をもって晋王に封ぜられ、翌年死去します。息子の司馬炎が王位を継ぎ、魏の元帝曹奐から禅譲を受けて晋を建国します。

晋の武将と呼べるのはその後、呉の陸抗と対峙した羊コ[示古]や、呉を滅ぼした杜預・王濬・王渾などになります。



【追記】

hidaka1125さん

azarashikun1230さん

確かにおっしゃる通り、細かい話なんて判る人には判るものだし、所詮はゲームの話だから…というのは私も同意見です。

ただ、史実を詳しく知らない人は事の真偽が判らずに本当だと誤解するものです。特にゲームは幅広い年代に遊ばれるものだし、影響が強いと思うんですよ。

コーエーさんにはそういう事も含めてきちんとやって欲しいと願っているのですが、それは独り善がりの間違った考え方なんでしょうかね…。



まあ三国志と一口に言っても有名な人物は限られてますし、ある程度は仕方ないのかも知れませんが。

ちなみに文鴦は日本での知名度はほぼ無いですよ。正史『三國志』での記述もそう多くないし、日本のゲーム等で登場する事はほとんどないと思いますよ…(^_^;



hidaka1125さん、多分コーエーには正史を啓発する意図も正史に詳しい社員もきっと存在しないと思われます。なので一時期、半ば本気で入社を考えたりしたもんです(爆笑)。



そういえば『天舞』っていう正史準拠のシミュレーションもありましたっけ。リアルタイム制で難し過ぎて全く売れませんでしたが(汗)。



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事実は他の回答者さんが書かれていますから、ひとつだけ。このシリーズをすべてやっていますからわかるのですが、データベースで武将列伝や三国志の話の流れ、年表などが閲覧可能なので、「設定はこうだけど史実はこうなんだ」くらいはわかると思います。


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私もゲームでの設定の真偽なんてどうでも良いですが一応事実だけを書くなら鄧乂、鐘会、郭淮は国号が魏のまま亡くなっています 厳密に言えば他の方々や質問者様がおっしゃるとおり魏の武将です 夏侯覇にいたっては蜀とすべきでしょう

また彼らがどの国の将として戦っていたかと考えても魏でしょう(3人の意識の問題は)



では何故晋なのか 恐らく司馬氏が権力を握っていて実質は司馬氏の専横状態であり最早曹家の魏ではなくなっているから晋と勝手に分類したのでしょう ここら辺は所詮ゲームなのでムキにならないようにすれば良いんじゃないですかね



勘違いする方も出るしょうがこの程度で勘違いする方の三国志の知識はたかが知れているでしょうからどうでも良いじゃないですか 気に入らなければやらなければ良いだけですし(現に私はやりません)

勘違いする方もゲームに興味あがるだけで真の意味で厳密の知識など求めてませんよ

今回のご質問のように気になった方が事実を知る それで良いのだと私は勝手に思っています

聞かれれば事実を回答いたしますがこれに関してはどうでも良いことだと思います ゲームの真髄は楽しければ良いそれだけです



hidaka1125様>ググってきましたが文鴦が出てないのは本当におかしいですね 何ででしょう…

横山三国志とかに出ないからでしょうか… 演義視点だから後期などどうでも良いということかもしれませんね(晋や魏の分類とかも)



kanshinshunjyu様>う~ん独り善がりという概念をもってくると私のも独り善がりの範囲になってしまいますね(汗)

漢晋様のおっしゃることも分かります だから私の考えを漢晋様に押し付けるつもりはありません

漢晋様のような方がいて事実を知らない方に教えてあげること自体は悪いと思いません また憤るのも構わないと思います

ただあまり押し付けすぎるとゲームを楽しむだけの方々にとっては興醒めの場合もあるわけです そもそもゲームから入って興味が湧いたら事実を改めれば良いだけです



改めない方事実などどうでもよい方ははなから三国志マニアじゃないだけです

以前レッドクリフのお題に関しても見解を述べましたが両者行き過ぎると誰かを不快にするだけです 私はアニメやゲーム側 史実や歴史大好き側にも最大限良い結果になることつまり最大多数の最大幸福を実現できれば良いなと思っています 無論これにも問題点があるのは分かっています(漢晋様がおっしゃるように)

漢晋様は漢晋様のスタンスで良いのではないでしょうか



まあこの話題に限って言えばレッドクリフは恋愛要素など楽しめれば良いという観点は当てはまりますが魏を晋にして何が楽しくなるのかということに関しては良くわかりません 色々と都合があったのかもしれませんけど(笑)

文鴦の知名度はそんなに低いですか… う~んじゃあ出ないのも当たり前かも…(汗)



hidaka1125様 kanshinshunjyu様>歩夫人も参戦ですって…(汗)それと上記3人だけでなく諸葛誕も晋になってますよ(笑)


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別にたかがゲームの設定で嘘もヘッタクレもないと思いますが。演義ではイマイチ影の薄い後期の人物にスポットライトを当てるのは非常に良いことだと思いますよ。詐欺紛い商法大好きのKOEIにしては珍しく評価できます。さらさら買う気はありませんが、興味は湧きますね。



区分で言うなら全員魏の武将です。ていうかその連中は誰一人晋成立を目撃すらしてないですし。鄧艾も鍾会も形としては司馬昭に殺されてるわけで、晋の武将としたって無理がある。夏侯覇に至っては蜀で諡号まで贈らてる。こりゃ蜀の人間と言ったほうが妥当かもしれません。郭淮は誰がどう見ても魏の人間。子孫は晋で重用されたようですが。KOEIは司馬一族が実権を握ってるときに活躍した武将は晋の人間と区分したんでしょう。

ただ無双に出すんなら、後期なら誰を置いても文鴦が真っ先に思い浮かぶんですが…彼は出ないのかな?



・追記

まぁ無双は人気シリーズですからkanshinshunjyu様の仰るように大多数の人間は誤解するかもしれません。が、それはもう言っても仕方の無いことです。時代区分の違いなんてまだマシですよ。私が最後にプレイした無双4では、もはや演義にすら描かれてない全く架空の戦や人物が登場したりしてますんで。三国志演義は無双に限らず様々なゲームや漫画で用いられてる作品です。10作品あれば10通りの全く違う作品が出てきます。嘘や曲解なんてレベルではなく、三国志の舞台と人物だけ使った「三国志的な何か」というのがほとんど。それに対して一々ツッコミ入れたってキリがありません。「ゲームはゲーム。面白けりゃいいじゃん」で良いんではないでしょうかね。

文鴦、出ないのね…azarashikun1230様ありがとうございます。「趙雲に比される」というおいしい設定を生かせないKOEI…姜維なんかと戦わせればいいじゃん。やっぱりKOEIってダメな子…そして買う気も無い癖にイチャモンだけ付ける私もダメな子。


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史書に準拠すれば全員魏の臣下でしょうね。

一例を上げるなら、彼らは魏書に伝がある一方で、晋書には伝がありません。



しかし、ゲーム内の区分としては問題ないと思いますよ。たしかに彼らは晋の建国前に死んでいますが、一般に魏に所属していると見なされている典韋・郭嘉・曹純達も魏の建国前に死んでいます。(彼らは魏書に伝がありますが) 郭淮あたりはともかく、他は司馬一族に協力的でしたから晋の一味として扱っても良いと思います。



所詮ゲームの中の話ですから。むしろ単純化した設定だからこそ分かりやすく、三国時代末期の知名度上昇に貢献してくれるでしょう。

質問の主旨から脱線していますが、次は三国志以外の時代も取り上げて欲しいですね。


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鄧乂、鐘会、郭淮は魏。

夏侯覇は魏から蜀へ亡命。



司馬氏?司馬師?司馬師であればまだ晋公にもなっていないので晋ではない。

司馬炎が中国を統一する前に鄧乂、鐘会は死亡。

wiiのゲームの三國志11 with パワーアップキットと戦国無双3および戦国無双3猛将伝...

wiiのゲームの三國志11 with パワーアップキットと戦国無双3および戦国無双3猛将伝のゲーム内容について詳しく教えてください。できればHPのリンクなし(回答者さんの意見のみ)でお答えいただけたらうれしいです。


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三国志11withパワーアップキット

こちらは三国志のシュミレーションゲームです。

自分が君主となって国を作り、

戦争では戦法や計略を駆使して中国の覇権を争う。

的な感じですね。



戦国無双3

こちらは戦国時代を舞台にしたアクションゲームです。

戦国武将を自ら操作して一騎当千の爽快感を味わう。

織田信長を使って本能寺の変で明智光秀を自ら討つ。

なんてことも可能です。



戦国無双3猛将伝

こちらは戦国無双3の追加要素を入れたソフトになります。

猛将伝だけでもプレイは可能ですが、

なにより追加要素しか入ってないので、

(3で無双演舞【各武将に用意されたストーリーモード】

が無かった武将の無双演舞が入っていて、

3でプレイ可能な武将の無双演舞が入っていない)

普通は戦国無双3と両方買うのが定義となっています。



余談ですが、戦国無双3に戦国無双3猛将伝の要素を入れたソフトが、

戦国無双3Zです。

三國志の東夷伝にある倭国のトコ、つまりは魏志倭人伝なんて勝手大層な名前で呼ば...

三國志の東夷伝にある倭国のトコ、つまりは魏志倭人伝なんて勝手大層な名前で呼ばれてるやつですが、なんだか読んでみると、
卑弥呼が貢物を届けるに至った経緯は遼東を平定したからであって、司馬氏の手柄によってわざわざ海を渡って他国が媚びてきたって自慢話ですよね。

王朝の祖を誉め称えて書きたい陳寿の意図が感じられて、嘘臭いです。卑弥呼伝説を日本で信じてる人って多くて、高度な文明が邪馬台国にはあったと信じてる人たくさんいますが証拠は何も出ていないし、陳寿の超誇張だと感じたのですが、皆さんは如何ですか?

たくさんの意見が聞きたいです。よろしくお願いします。


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御指摘

三國志の「東夷伝」とする御質問をなさる限り、貴殿に、陳寿の誇張かどうか、回答しても、おわかりになられるかどうか疑問ですね

もう少し御勉学したらいかがでしょうか?



御指摘

正式な名称は『魏志倭人伝』で「東夷伝」は『後漢書』などです

あなたがオススメの三國志、戦国時代(日本)の本教えてください。 小説、漫画問い...

あなたがオススメの三國志、戦国時代(日本)の本教えてください。

小説、漫画問いません。



ただし正統派のものでお願いします。



よろしくお願いしますm(__)m


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三国志の小説では、

■吉川英治『三国志』…やはり三国志小説の決定版でしょう。血わき肉おどる物語!

■三好徹『興亡三国志』…曹操を中心に描いた三国志小説の傑作。

■陳舜臣『諸葛孔明』…孔明の実像がよくわかります。三国志演義や吉川三国志は面白いけれど嘘っぽいなと感じたら、この作者の『秘本三国志』がオススメです。リアルな歴史小説になっています。



戦国時代を描いた歴史小説では、

■南原幹雄『謀将 北条早雲』…戦国の幕をあけた梟雄

■永井路子『山霧』…毛利元就とその妻

■新田次郎『武田信玄』

■海音寺潮五郎『天と地と』…上杉謙信

■宮本昌孝『ふたり道三』…斎藤道三

■宮本昌孝『剣豪将軍義輝』…足利13代将軍義輝。さまよえる無力な将軍が成長するさまを感動的に描く。私の大好きな作品。

■津本陽『下天は夢か』…織田信長

■羽山信樹『光秀の十二日』…明智光秀の最後の12日を描いた凄みのある傑作。あまりに辛く悲しいので、読後しばらく意気消沈してしまった。ほかに同じ作者の『滅びの将』『夢狂いに候』もオススメ。

■山田風太郎『妖説太閤記』…豊臣秀吉

■野上弥生子『秀吉と利休』

■荒山徹『高麗秘帖』…李舜臣。秀吉の朝鮮出兵を朝鮮側から描く。前半やや冗長だが最後の海戦シーンが圧巻。

■司馬遼太郎『関ヶ原』…関ヶ原の戦い

■隆慶一郎『影武者 徳川家康』

■佐竹申伍『真田幸村』…大坂の陣の描写など大迫力。この作者の作品もなかなか面白く、ほかに『島左近』『蒲生氏郷』『加藤清正』。



戦国時代を描いた漫画

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1330560163





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戦国時代(日本)でしたら、司馬遼太郎氏の以下の作品がオススメです。

妖怪・・・応仁の乱勃発の背景がわかります。

箱根の坂・・・戦国時代開始の背景がわかります。

国盗り物語・・・戦国真っただ中の様子がわかります。

新史太閤記・・・豊臣秀吉の生涯における機智等がわかります。

関ヶ原・・・決戦に到る過程も含めてわかります。

城塞・・・関ヶ原後、大阪の陣決戦までの様子がわかります。

以上総じて司馬氏の作品は、人物や社会背景等々についての洞察の深さが抜群で、単なる歴史書などというものではなくて人生教訓書そのものという感じですので、オススメできます。


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戦国時代なら、司馬遼太郎氏の「関ヶ原」が好きです。

関ヶ原以後なら、漫画ですが、みなもとたろう氏の「風雲児」がお勧めです。

全巻読めば、関ヶ原~明治維新までの歴史は大体把握出来ます。

位置づけはギャグ漫画ですが、読み込むと骨太の大作です。


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小説でいうならまずは吉川英治さんの「三国志」は外せないですよね。北方謙三さんも「三国志」を書いてましたね。あとは「呉三国志」という呉の国を描いた作品もあったような。

マンガは横山光輝さんの「三国志」が有名ですが、ストーリーは吉川英治さんのものとほぼ同じです。

「蒼天航路」という作品は曹操を主人公に描いた意欲作で、既成概念の枠を超えた三国志が楽しめます。



以上、三国志ファンの王道ルートをご紹介させていただきました。

三國志の質問です 1、袁術、袁紹は仲が悪いのですか? 2、袁術配下の楽就、陳...

三國志の質問です



1、袁術、袁紹は仲が悪いのですか?



2、袁術配下の楽就、陳紀、梁綱、橋ズイ、李豊、韓イン、袁紹配下の文遠(?
)、韓猛について、経歴、字等紹介していただきたく思います


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Q1.袁術、袁紹は不仲?

A1.不仲だったとされます。



後漢末、袁家は名家でした。

そのなかでも、「袁紹」(兄)の評判が良かったものの、

彼は妾の子であり、

本妻の子である(とされる)「袁術」(弟)は、それが面白くなく、

自分こそが名門袁家の嫡流であると自認していたようです。



「正史」には袁紹と袁術の対立の理由は述べられていませんが、

袁術は当初から、

袁家が後漢帝国から簒奪して繁栄する事を目指していたようですが、

袁紹が皇室と同姓の「劉虞」を擁立しようとしたことから、

袁紹と袁術のいがみ合いが始まります。



優柔不断でお坊ちゃまの袁紹と、

自己中心的な考え方を持った袁術では、

所詮水と油だったのでしょう。



袁術は、皇帝を自称して結局は破滅の道を歩んでいきますが、

皇帝に成るだけの地盤と勢力.実力(?)を持ちながら、

結局躊躇して、機会を逸して破滅する袁紹。

対照的ですね。



袁術は、197年寿春で帝を僭称し仲氏と号しますが、

同盟を組んでいた呂布や、曹操と相次いで敗れ、

壊滅状態となり、

袁紹を頼るため帝位を贈った上、

袁紹の長子袁譚のもとに身を寄せようとした途中で発病。血を吐いて死にます。

絶交状態にあったとはいえ、最後には兄袁紹を頼らざるを得なかったのは、

ある種哀れですね。

袁術の蜂蜜好きなのは有名です。



Q2.袁術.袁紹配下の部将のプロフィール

A2.

『袁術配下』

名前が挙げられていませんが、袁術配下といえば、この人は外せないので



【紀霊(きれい)】生没年不詳。



紀霊は3万の軍を率い、小沛の劉備を攻撃しました。

呂布は紀霊と劉備の仲裁に出て、

遠距離にある戟の小枝(胡)に射当てたら軍を引き上げよ、と申し渡し、

見事そこに矢を当てます。

演義では、

重さ50斤の三尖刀の使い手として登場します。

関羽との一騎打ちで30合余り互角に戦いました。

最後は、張飛との一騎打ちで10合余り渡り合った後に討ち取られます。



【橋蕤(きょうずい)】生年不詳~197年



張勲と共に大将軍に任じられたとされます。

陳国に侵攻しますが、曹操に敗れ斬られました。

演義では、

曹操、劉備、呂布、孫策による袁術討伐が開始されると、

寿春を守備したものの、戦死しています。



【楽就(がくしゅう)】生年不詳~197年



197年、陳に残留しますが、

曹操に敗れ楽就他の3人と共に斬られました。

演義では、

曹操は寿春に攻勢を欠け、

李豊、陳紀、梁剛、楽就は守りますが陥落し、

4人の武将は全員斬首されました。



【陳紀(ちんき)】生没年不詳。



正史では、袁術が孫策に約束していた九江太守に任命する件を反古し、

代わりに任命されたのが陳紀です。

演義では、

呂布を討伐の際、陳宮率に迎撃され、敗れています。

寿春城の攻防戦でを曹操軍の猛攻の前に敗北し斬首されます。



【李豊(りほう)】生年不詳~197年



李豊・梁綱・楽就の3将で陳国に残留しますが、

曹操軍に敗北して戦死します。

演義では、

呂布に対して槍をとって立ち向かいますが、

呂布の画戟を利き腕に受け、敗走します。

寿春城の攻防戦でを曹操軍の猛攻の前に敗北し斬首されます。



【梁綱(りょうこう)】生年不詳~197年



演義では「梁剛」で登場します。

寿春城の攻防戦でを曹操軍の猛攻の前に敗北し斬首されます。



【韓胤(かんいん)】生年不詳~197年



呂布との同盟を結ぶため韓胤を派遣します。

呂布の娘を袁術の息子の嫁に縁談を申し入れますが、

捕らえられ、曹操に引き渡しされ斬首されます。



『袁紹配下』

【文醜(ぶんしゅう)】生年不詳~200年・・文遠?



袁紹が韓馥から冀州を奪う際、韓馥配下の関純を斬り殺します。

公孫瓚を一騎打ちで破って追撃。

趙雲と一騎打ちになり、五、六十合しても勝負がつきませんでした。

官渡の前哨戦で、顔良の仇討ち戦で孤軍奮闘し、

張遼を落馬させ、徐晃を撃退しますが、

関羽に討ち取られてしまいます。

正史では、誰に討たれたという記述は無く、文醜は乱戦のなかで戦死します。



【顔良(がんりょう)】生年不詳~200年



正史では、関羽は馬に鞭打って掛けつけ、

大軍の真っ只中で顔良を刺し、首を切り取って陣に戻ったとされます。

官渡では劉備と共に出陣し、

宋憲、魏続 を討ち取り徐晃を敗走させます。

しかし関羽に一刀に斬って落とされ、首を取られます。



【韓猛(かんもう)】生没年不詳



官渡の戦いで、

曹操軍の西方の交通を遮断する役目でしたが、曹仁に撃破されます。

さらに、袁紹軍の兵糧の運搬を警護する役目を担いますが、

輸送車を焼き払われます。

演義では、その件で袁紹の怒りを買い雑兵に降格されます。



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とりあえず1についてだけ回答させて頂きます。



袁紹、袁術は異母兄弟で、袁術が嫡出子、袁紹は庶出でした。



しかし袁氏本家に跡継ぎがいなかった為、袁紹が養子に入って本家を継いだ為、



分家の嫡子(のちに当主)となった袁術と立場が逆転してしまいました。



袁術は庶子の袁紹が本家当主となったことを激しく嫌い、関係が険悪になったそうです。