三國志の字の使い方
詰まる処どっちが正しいですか
呂奉先
呂布奉先
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どちらも正しいです。
文書の場合、姓+名+字で書かれていることもあります。
まさに呂布とほぼ同じ時代の曹丕が書いた『典論 論文』で建安七子という当時有名な文人を評する時「魯国孔融文挙,広陵陳琳孔璋,山陽王粲仲宣,北海徐干偉長,陳留阮瑀元瑜,汝南応場德進,東平劉禎公干」という記述をしています。
魯国の孔融文挙は姓孔、名融、字文挙ですが、姓名字が併記されています。
その他の6人も同じで、姓名字が一緒になっています。
よって、「呂布奉先」も間違いではありません。
漢より前の先秦時代(秦より前の時代)は、字と名前を並べることで尊敬を表すことがありました。
ただしこの場合、字の後に名前がきます。
例えば
孔子の先祖に姓公孫、名嘉、字孔父がいますが、普通「孔父嘉」といいます。
孔子の父「叔梁紇」も姓孔、名紇、字叔梁です。
秦の百里奚の子「孟明視」も有名な武将ですが、姓百里、名視、字孟明です。
同じく秦の「西乞術」は姓蹇、名術、字西乞、「白乙丙」は姓蹇、名丙、字白乙です。
時代によって字の表記方法は異なるので、三国時代の口語で姓名と字の並列は無かったはず、という理由から「呂布奉先」は間違い、とする考えには問題があります。
現代の我々が呂布の話をする時に「呂布奉先」と言っても問題ありません。
但し、当時の実際の呼び方では名を呼ぶのは失礼とされていたので、「呂奉先」または「奉先」と呼ぶのが普通です。
例えば小説などで董卓が呂布に対して「呂布、お前にに5000の兵を与える」等と言っていたらおかしいです。
正しくは「奉先」と言うべきです。
アニメの三国演義では字の習慣が無い日本人に分かりやすくするため、日本語版は姓と名をつなげているようですが、中国語版は字で呼んでいたと思います。
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目上から:呂布
同格から:呂奉先
格下から:呂(官職名)
大体こんな感じ。まあ、一般的に名前で呼びつけるのは親か天子に限られます。
呂布奉先とつなげるのは、単に、姓呂名布字奉先を略しただけで、口語では使わない。
三国志演義でいえば、会話文でこの使い分けをしますが、本文はほぼ全部呂布。
字で本文が書かれているのは劉備と孔明だけと。(ただし、三国志演義の書かれた時代、関羽は既に神だったので、関公と書いている。)
どれが正しいと言うより、日本で呂布奉先とつなげて書くようになったのは吉川三国志の所為です。
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基本的には呂奉先が正しいです。
呂布は姓が「呂」、名が「布」、字が「奉先」。
このうち名は諱(いみな)ともいい、普段使うのは大変失礼な事とされており、主君や父母など目上の人と死後に主に使われる名前です。
一方、字(あざな)の「奉先」諱は通称で普段使う名前です。
中国では名と字は同時に使う事はありませんので、「呂布奉先」というのはありえません。
現代日本では並べて書いてしまう事もおおいですが、正式には「姓・名」もしくは「姓・字」が正しいです。
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まあ両方です。状況で使い分けられます。
他者が呼ぶ場合、目上の者とか親しい者、あるいは敵が呼ぶのでなければ「呂奉先」ですね。諱で呼ぶのは無礼にあたるので代わりに使用されるのが字ですから。
全部をつなげて使うのは自ら名乗る場合、あるいは文書の中においてなどです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%97
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