2012年3月26日月曜日

「三国志(正史・演義を問いません)」で名言と思うセリフは何ですか?

「三国志(正史・演義を問いません)」で名言と思うセリフは何ですか?

私は曹操の「わしが人を裏切ろうとも、人にわしを裏切らせはせんぞ」です。この「何様?」なセリフに「我、我が道を行かん」という信念の強さを感じますし、演義で悪役を演ずる所以と妙に感心しました。彼こそピカレスク(悪役)・ヒーローと思うのは私だけでしょうか?


|||



名言と一口に言っても多数ありますが、正史『三國志』から挙げましょうか。



李典「これは国家の大事です。我々は個人的感情で公の道義を忘れはしませぬ」

李典伝。日頃から仲が悪かった張遼に、楽進と李典が作戦に従わないのでは?と懸念されての言葉。



孫権「曹操には張遼がおるが、わしにも興霸(甘寧)がおる」

甘寧伝注。濡須へ攻めてきた曹操軍に対し、百騎で夜襲をかけて多大な戦果を挙げて戻った甘寧に対しての言葉。



孫権「私が鞍を支えてあなたを馬から迎え下ろしたならば、あなたの功を充分に顕彰したことになるであろうか」

魯粛「不充分です。願わくば四海を統一されて帝王としての事業を完成なさり、その上で安車蒲輪(賢者を召し出す特別な馬車)によって私を召して下さいませ。そうして初めて充分に顕彰して下さった事になるのでございます」

魯粛伝。赤壁で曹操軍を破って戻った魯粛を、孫権が群臣とともに出迎えた際のやり取り。魯粛は周瑜とともに抗戦を主張した数少ない人物。



徐晃「関雲長の首をとった者には千斤の賞金を与える」

関羽「大兄、これは何のことだ?」

徐晃「これは、ただ国家のことなのだ」

関羽伝注。官渡の戦い当時から親交のあった関羽が樊城の曹仁を攻め、曹仁の援軍に来た徐晃と関羽とのやり取り。個人的関係よりも国家の大義を優先させると宣言した言葉。



厳顔「益州には首をはねられる将軍はいても降伏する将軍はおらぬ。斬るならさっさと斬ればよい」

張飛伝。敗れて捕虜になり、張飛から罵声を浴びせられての返事。



とりあえずこんなところで(^.^)



|||



孔明様、命なので 孔明さまのセリフばっかりかもしれませんが。。

孔明「悠久、あくまで悠久・・」

横山光輝孔明「だまらっしゃい!」

孔明「ああ、もし関羽が生きておれば・・」

孔明「あれよ、あの煌々と見ゆる星が私の将星よ・・見よ・・今に落ちるであろう・・・」

曹操「わしが天下に背くのはよいが天下がわしに背くのは許さん」

孔明「立派な人間の友情は、、温かいからといって花を増やすこともなければ、

寒いからといって葉を落とすこともない。どんな時でも衰えず、

順境と逆境を経験して、友情はいよいよ堅固なものになっていく。 」

孔明「天下は一人の天下にあらず、すなわち天下の人の天下である。 」

孔明「治世は大徳を以ってし、小恵を以ってせず 」

孔明「「事機」が有利に展開しているのに、それを生かせないのは、

智者とはいえない。「勢機」が有利に展開しているのに、

それに乗ずることができないのは、賢者とはいえない。

「情機」が有利に展開しているのに、ぐずぐずためらっているのは、勇者とはいえない。」

孔明「人生とは、困難との戦いの連続である 」

孔明「人の心をつかめる人は、敵を消滅できる。古来、兵は戦を好まない。 」

孔明「時の流れがわからなければ、寛大であろうと、厳しくしようと、政治はすべて失敗する。

これから蜀を治めるならば、 このことを深く考えなければいけない。 」

孔明「わたしは恩をうけたことの感激にうちかつことができません。

いままさに遠く離れるにあたり涙をながし、ことばもありません」

孔明「内部の守りを固めずに、外部を攻めるのは愚策である。」

孔明「志がなければ、学問の完成はない。」

孔明「学ぶことで、才能は開花する。」

などです・・孔明さまばっかですいません・・

しかもこれは中1の単なる記憶力の悪い頭に入っているのであっているのかはわからないです・・

(#^.^#)


|||



名言というか1シーンになってしまいますが、

魏延「わしを殺せるものがあるか!」

馬岱「ここにいるぞ!」

という部分が好きです。


|||



横山光輝三国志、曹操の死の間際のセリフ



「長い戦いの人生であったわ」



こんな潔く死ねるものなのか!!


|||



演義の曹操も魅力的ですが、正史の曹操の存在感は、やはり圧倒的です。



建安25年(西暦220年)正月、漢の丞相・領冀州牧・使持節鉞大将軍・魏王であった曹操が、数え66歳で没しますが、その遺令はこうです(今鷹真訳)。



「天下は依然として安定をみない以上、まだ古式に従うわけにはいかない。埋葬が終われば、皆、服喪を去れ、兵を統率して守備地に駐屯している者は、部署を離れることを許さぬ。官吏はそれぞれ自己の職につとめよ。遺体を包むのには平服を用い、金銀珍宝を(墓中に)おさめるでないぞ」



魏王朝が成立するのはこの九ヶ月後ですが、このいかにも曹操らしい質実で合理的な遺言は、「礼教国家」であった東漢(後漢)王朝に対し、「戒厳軍事政権」とも呼ぶべき魏王朝にとって、事実上の建国宣言にあたるものだと思います。


|||



李恢

「何がむむむだ!」





補足

徐庶「否!否!」

劉備「湯を点ぜよ」

魏の諸臣「おお、夏侯淵の子なるか」

張飛「鶏は体温が高いから寄生虫がつかない」



曹操「それ英雄とは、大志を抱き、万計の妙を蔵し、行って怯まず、時潮に遅れず、宇宙の気宇、天地の理を体得して、万民の指揮にのぞむものでなければならない」


|||



う~ん…

あんまり頭を使いたくないので、真っ先に思い浮かんだモノを書きます。



蒼天航路の馬玩が馬超に言った最期の言葉。

あれには…涙が止まりませんでした。



「貴様は錦だ、馬超。美しく義憤を貫けい!!!!!!!!」

単騎、曹操軍の中に突撃するその姿に…漫画とは言え、泣きました。



演義での馬玩は、疑心暗鬼に駆られた馬超が真っ先に斬っているのに…

このギャップ…………


|||



北方謙三氏の三国志ですが

関羽敗死のシーンから、「関羽雲長帰還できず」です。

思わず涙が出そうになりました。

0 件のコメント:

コメントを投稿