三国志で一番愚かだった人物はだれですか?
回答待ってます!
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なんか見当違いの回答が多いですね。基本的に歴史に名が残り、誰でも知っているような有名人物が「愚か」だとは言えないと思いますがね。
袁術、劉禅、孫晧、諸葛亮。彼らはみな賛否両論こそあれど、愚かとまでは言えないでしょう。
劉禅が国を滅ぼした暗君?とんでもない。圧倒的劣勢の小国を39年も存続・維持させたのにそんな事を言われる筋合いはないでしょう。孫晧にしても同様です。些細で過酷な刑罰が目立ち正史でも酷評されていますが、彼にしても在位は16年を数えます。帝位に登る前の彼は聡明で優秀な人物であり、その豹変は三國志中最大の謎のひとつです。
袁術は董卓後の一時期、袁紹と国家を二分する最大勢力の領袖だった人物です。真に愚かなら孫堅・孫策親子をはじめ彼に従った人物が多い理由が説明できません。
諸葛亮を挙げられたご回答に至っては完全に誤解でしょう。諸葛亮が巴蜀遠征軍に参加したのは劉備の命であり、それに対してホウ統が激怒したなどとは聞いた事がありません。
私が「愚か」と言われて思い浮かべるのは、嘉平年間(250~256)に弘農の太守であった劉類でしょうか。人を信頼せず下役人を酷使し、酷刑を課し、官吏・人民を苦しめました。
尹昌という百歳近い老人が、劉類が巡行する際の道筋に住んでおり、息子に「府君(とのさま)をお迎えして感謝を述べたい」と頼んで道に出て待っていたところ、これを見た劉類は喜ぶどころか「こんな死人をわしに会わせるのか」と激怒した、と言います。
ただしそんな劉類も人間関係を上手く処理する能力があり、刺史・郡守を歴任したとあり、住民に告発されて弘農太守を免官されても、処刑されるでもなく中央に戻って官職に任命されています。
劉類の人間性は確かに最低ですが、愚かとまでは言えないかも知れません。
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中国でも日本でも愚か者の代名詞になってる劉禅ですかね、やっぱ。
別に劉禅の善政で蜀の国がしばらくもった訳でなく、孔明ら優秀な政治家がいたのと、蜀は交通が悪いど田舎にあるので攻めにくく自然の要塞があったからで、記録にも劉禅は酒と女の日々であり国を守る意志もなく、英雄たちを祀る武侯祀にも皇帝なのにその名はありませんからね。
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姜維は評価が分かれるところではないかと…。
諸葛亮の後を継いで北伐を実現…
という志は立派ですが、戦局は魏を脅かすまでに至らず、
それどころか度重なる遠征により兵力と費用が嵩む一方になり、
かえって国力が弱くなっていったらしいです。
また劉備の代から成都を守備している
防衛軍にまで北伐の為に手を出し、
結果としてトウ艾に成都へ付け入る隙を
与えるハメになってしまったとのこと。
蜀の滅亡は劉禅の暗愚さ・黄晧の専横・姜維の無謀が
原因であるという見方もある様です。
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馬謖では?
諸葛亮の弟子で優秀でしたが、石亭の戦いで指揮を任された際に、自分の才に溺れ諸葛亮が指示した布陣を無視し、自分の考えで布陣を敷いた事により、この布陣を司馬懿に攻略され蜀は北伐における大事な戦を落としてしまいました。
これによって馬謖は死罪になりました。
他の部下からは、死罪を撤回するよう諸葛亮に進言しましたが、諸葛亮は規律を重視し、馬謖を死罪にしました。
これが有名な、
「泣いて馬謖を斬る」の元となります。
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曹豹をおいて他になし!
無謀にも夏侯惇と一騎打ちをしたり
酒を飲んでいる張飛をわざわざ諌めたり
調子に乗って張飛を追撃して討ち取られたりと
お墨付きに(?)「三国志Ⅱ」がそれを証明。
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愚かというか「愚直」だったのは楊奉だと思います。
白波賊の頭領だった彼は、董卓亡き後混乱の極みにあった長安から逃れる献帝と、ひょんなことから共に行動することになり、洛陽への逃避行全般で帝を御守りした中心人物です。そんな功績があり、しかるべき立場にいたにも関わらず政権のイニシアチブを握れず(握らず?)、曹操の天子奉戴の際には子供だましのような策に乗ってしまい許への遷都を許し、やむなく身を寄せた袁術に勤皇の志がないと見るや呂布に寝返るもその後は呂布とうまくいかず、最後は劉備を頼ろうとして面会するもその席で殺される…
言ったら悪いがあまりにも馬鹿正直(泣)。でも彼ほど純粋に献帝に尽くそうとしていた人物はそういないのでは?こういう愚直さは嫌いじゃないです。
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黄皓じゃないですかね。劉禅挙げてる方が居たので。宦官で蜀の政治の腐敗を招いた人物です。劉禅に気に入られ賄賂などやりたい放題。
諸葛亮や姜維の北伐失敗の散財は外的要因だと思います。ですが政治腐敗は国の根幹を支える問題が一番だと思いますけどね。
後に蜀が降伏した際に劉禅は存命しますが、黄皓は処断されます。
歴史に残る失敗してるからこそ愚かというんじゃないんですかね。他に正しい選択肢が有ったと思われるのに、何故か間違った選択した事を愚かだと思いますけど。
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むずかしいですけど諸葛亮ですかね
鳳統を信用せず刑州を留守したことが最大の過ち
孔明は言われているほど戦略家ではなく鳳統は刑州を留守にしたことで孔明に激怒してます
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孫皓
三国志に出てくる登場人物の中でも一番残虐な性格と言われ、人の顔の皮を剥ぐなど、ありとあらゆる拷問を行った暴君であったとされる。その上猜疑心の強い性格で、濮陽興・張布ら多くの部下を処刑している。そのためか陳寿の『三国志』上での評価も否定的な記述が目立ち、晋は孫晧の降伏を許さず腰と首と断ち(腰斬刑、通常の死罪よりさらに重罪人に適用された)、万民に謝罪すべきであったと酷評している。
国を滅ぼした暗君という意味では劉禅もいっしょだが、自国民に対して悪逆非道な分だけこいつの方が愚か。
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中国では、無能な人間を「阿斗」というそうですので、幼名がかわいそうな使われ方をしている劉禅でしょうか。
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実力不相応に帝位を僭称した袁術でしょうか。皇帝を名乗っても、ただ私腹を肥やすために民からあれこれ搾取した挙げ句、敵に負けて野垂れ死に。君主の器ではありません。
kanshinshunjyu様のご意見を拝見して自分のものの見方の浅さを反省しつつ、ふと疑問に思ったのですが、今時「お馬鹿キャラ」を売り物にしている芸能人の方々も実際は結構したたかな人たちなのでしょうね(カテ違いのネタを引っ張り出して申し訳ございませんm(_ _)m)。
ひょっとして孫皓は古代ローマのカリギュラみたいに、病気がきっかけで人格が一変してしまったのでしょうか? あるいは薬物中毒(五石散でしたっけ)か…(そもそも五石散が呉の国にもあったかどうか)?
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