2012年3月26日月曜日

三國志の質問ですが 横山三國志で漢朝最後の帝、献帝はトウタクに子供の頃にこの子...

三國志の質問ですが

横山三國志で漢朝最後の帝、献帝はトウタクに子供の頃にこの子こそ帝たる人だと言われていましたし、
子供ながら威風堂々と描かれてましたが大人になったらなんか頼りない皇帝になってましたが何故そんな皇帝になってしまったのでしょうか?




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献帝が、変わったといより時代が悪かったが一番あってると思います。

それ以外では、周りに有能な人物がいなかったのはないかと思います。

献帝自身は、有能は人物でしょう。



しかし、脇を固める人材は…。

もし、献帝の周辺に曹操のような人物がいたとしたら…、

孔明のようなような存在があったら…。



歴史は少し変わったのかもです。

それでも、少しでしょう。

やはり、時代の流れは止められないでしょうから。



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もう献帝時代には手の施しようがありませんでした。

霊帝時代に劉焉が自らの野望の為、州牧制を提唱しました。

これは、州牧という地方監視・政務官に独立裁量権と兵権を与えるもので、群雄(軍閥)に割拠の法的根拠を与えました。

また、光武帝時代から少ない地方軍しかいなかった後漢は、それを中央軍で補っていたため皇帝直下の軍が都に常駐してませんでした。

霊帝も売官で得た金の一部を使い、私費で皇帝直属の軍を作りました。これが西園軍(西園八校尉)です。

しかし、董卓の出現(そもそもの原因は何進ですが)でそれも潰え、宦官・外戚という皇帝の基盤を失います。

(宦官・外戚は権力の根拠が皇帝なので皇帝寄りです。皇帝個人ではなく皇帝の地位寄り。)

また異民族が漢軍を打ち負かし、皇帝の権威自体も失墜してます。

このような状態で引き継いでも無理でしょう。

それでも曹操暗殺などの行動は起こしてますが、失敗しました。

ここらへんで限界だと思います。

ただ、禅譲後も殺害されてません。(没年は孔明と同じです。)


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今の世も同じ。幼少時代に神童ぶりを発揮しても、大人になったらアレアレ…、なんてケースの方が多いでしょう。自分の才能だけで生きていける人なんて、幸運も味方するもの。ただし、献帝の場合は、個人の才能でなんとかなるほど、時代は甘くありませんでした。


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帝たる人だった思いますよ。

ですが生まれてくる時代が遅すぎた。

霊帝など先代たちのおかげで既に宮中は常に誰かしらの有力者に掌握され、皇帝というのはもうただのお飾りに過ぎませんでした。



大人になっても、曹操暗殺を企てるなど、積極的に政権を取ろうと画策しています。しかし有力な味方が誰もいない。宦官もすでに没落し、権力中枢はすべて曹軍団が掌握。これではどんな優秀な人間も力をふるうことはできませんよね^^;そういうことだと思います。


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人は変わるものです。それが幼少期なら尚更となります。晩年にもそういう人いますね!

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