2012年3月26日月曜日

三国志 董卓が支配していた頃 一時期董卓が都を支配していた頃の話しなのですが...

三国志 董卓が支配していた頃





一時期董卓が都を支配していた頃の話しなのですが、以前に知恵袋で『董卓が最近実は暴虐な人間では無かったと話しがあるけど、
彼が起こしたインフレは罪では無いのか?』と質問した所、気になった回答がありました。





簡潔に言うと『当時世の中混乱してたしインフレ起きたのは董卓だけの責任ではない。曹操だって止めるのが出来なかった』とありました。





当時曹操が世の中のインフレを止める程の実力者でしたっけ?まだ漢の一武将だったと思うのですが…詳しい回答お願いします。



あと当時政治を担当していた人物分かりますか?


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インフレが起きたのは董卓だけの責任です。



古代中国の代表的貨幣である五銖銭を廃止して円形方孔銭を鋳造したのが董卓であった。材料である銅を節約し、額面と鋳造費用との差額を得ることを主目的とした結果、銅銭というよりも銅環といったほうがよいような貧弱な形状になったこの悪貨は、当然のことながら人々の信用を得ることはできず、後漢末の経済は深刻なインフレ状態に陥ってしまいました。



のちにこのような状況のさなかに後漢の丞相に就任したのが曹操であり、曹操は逆に積極的なデフレ対策を採用し、その主要な施策として小銭を廃止して五銖銭の復活をこころみました。しかし董卓によって鋳潰されたり、民間に私蔵されたりして銅の絶対量が不足していたために、銅銭自体の流通量が激減し、今度は激しいデフレ不況が発生した。さすがの曹操をもってしても王朝末期の経済破綻を改革するという神業はついに実現できなかったのでした。



しかし、そのような状況のなか曹操が積極的に経済安定のために対策をし努力していたことは評価してあげてください。



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ええと、勘違いしていた部分がすいません。インフレに関しては曹操には

何の責任もありません。私は貨幣問題、と言う部分で話をしていました。

貨幣問題は曹操も結局根本的な解決はなされず、市場は結局物々交換とか

が主流だった、と言いたかったのです。



で、インフレの部分に関してはほぼ100%下の方が答えていますので私

からは特に言うこともありません。



ただ、董卓が何故貨幣を新しくしようとしたのか、私の場合はどちらかと

言えば、そちらをもう少し考えてやっても良いのではないかと思うのです。

例えば曹操が貨幣問題に取り組んでいました。そこは評価しましょう。で

董卓も貨幣問題に取り組んでいた。何故董卓は評価できないのですか?



例えば明らかに私腹を肥やしていた、と言う事実があれば政策を行うこと

自体に問題があることになります。しかし若い頃の気前の良いエピソード

や都を掌握した後、当初は自分の配下を高位につけず知識人達を積極的に

登用していたことから、そう言う可能性も薄いと思います。



方向性が間違っていた、そのことにおいて責は負うべきと思いますが董卓

も後漢の破綻していた経済状況をなんとかしようとしていたことに変わり

はなかったのではないでしょうか。そう考えるともう少し評価すべき所は

評価してやっても良いのではないでしょうか、と思うのです。



暴虐だったから全てを悪と考えるのは簡単ですが、そう単純な話でもない

と思うのです。そこはもう少しどこに意図があるのか、方向性など分けて

評価していくべきではないでしょうか。

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