2012年3月28日水曜日

三國志について。 何かトリビアとかありましたら是非教えてください。 正史、演義...

三國志について。

何かトリビアとかありましたら是非教えてください。

正史、演義でもOKです。



よろしくお願いしますm(__)m


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関羽の死



関羽はハン城攻略を試みるがホウ徳の猛攻に苦戦する

それと同時に関羽は呂蒙に笑裏蔵刀の計にはめられていた呂蒙はケイ州を攻略していた糜芳と博士仁は呉に降っていた

負傷していた関羽はケイ州奪回をはかるが呂蒙に敗れ捕虜になる

孫権は関羽に助命を試みるも一喝され首を斬られた

その後関羽は宴席のときに暴れだしたため呂蒙が狂って死んだらしい

その事に恐れて孫権は劉備と関羽双方の怒りをそらすために首を箱に入れて曹操に献上する

曹操が箱を開くと関羽の首が髪と髭を逆立ててにらみつけてきたので驚いて気絶してしまう

それから曹操が寝ようとすると関羽の姿が現れるようになり衰弱してしまうそれがきっかけで天命を悟って曹ヒを跡継ぎにしそれからすぐに死去するらしい



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正史よりいくつか。トリビア(無駄知識)なので、ネタになりそうなのを挙げます





関羽は劉備より年上。



虎牢関の戦いは存在せず、連合軍は宴会ばかりしていた(洛陽に入ったのは孫堅。曹操と鮑信だけは戦った)。



合肥の戦いでの呉の敗因は、援軍が大量に来るという勘違いから。あの人が恐いからではない。





なんてどうでしょうか?話のネタになりそうなやつをチョイスしました。


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貂蝉サイボーグ説なんかどうでしょう?(爆)



貂蝉は実はひどく不美人で、とても美女連環の計に使えそうにありませんでした。王允が華佗にそのことを打ち明けたところ、華佗は首を西施のものと取替えます。

これで事が成る…と喜んだ王允ですが、貂蝉はものすごいビビりで行動に移せません。それで華佗は今度は肝を荊軻のものと取り替え、ようやく度胸満点の美女となった貂蝉は呂布と董卓を籠絡したという…。



劉備三兄弟の兄弟順を決めた話もあります。



桃園結義で義兄弟となった三人ですが、兄弟順をどう決めるかで揉めます。張飛がそばの木を示して「てっぺんまで早く登った順にしようぜ」と言うが早いか登り始めます。関羽は慌てて後を追いますが、張飛はいち早く登りきり「これで俺様が長兄だ!」と得意満面。

そこへ下から笑い声。見ると劉備は木に登らず根元に腰を下ろしています。

劉備が言うには「木は根から生えるもの」つまり一番最初にあるのは根でてっぺんの葉先は最後に生まれたものだから自分が長兄、張飛が末弟だというのです。

張飛は地団駄踏んで悔しがりましたが、もう後の祭り…。



チャンチャン♪


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三国志でトリビアというと…「孫権は短足だった」というネタがまず思い浮かびます。



他には、関羽の架空の息子関索がアーサー王伝説と同じルーツを持っているという説(古代スキタイやサルマティアの英雄伝説が起源)がありますね。

「ユリイカ」1998年9月号に載っている金文京氏の「『三国志演義』と『西遊記』」に、その説が取り上げられています。


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名医華陀インド伝来説なんてどうでしょう。

中国の有名な歴史学者陳寅恪が称えた説です。



正史『三国志』に出てくる華陀の話はほとんどがインドにも似たような話があるらしいです。

しかも、インドの薬の神様を「阿伽陀(agada)」というらしく、「阿羅漢」の「阿」がとれて「羅漢」になったように、「阿伽陀」も「阿」がとれて「伽陀」になり、「華陀」に置き換わったとしています。



もしかしたら「華陀」という医者が実際に存在したが、いつの頃からか、インドの「阿伽陀」やその他の伝説によって人物像に肉付けされたのが、『三国志』に出てくる華陀の正体ではないか、と陳寅恪は言っています。



ついでに曹操の子・曹冲が象の重さを量る話もインドから伝わったものだとしています。


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関羽は死んでからの方が大変でした

算盤の発明者にされたり

商売の神様にされたり

秘密結社の象徴で

辛亥革命も関羽が居なかったら成功したかどうか

ってとこでいかがでしょう

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