三國志の一騎打ちって実際は本当にあったんですかねぇ?
三國志演義の中だけでの演出ですよねぇ?
あったとしても実際は、なんか森の陰とか、後ろからブスっと暗殺まがいな感じでコッソリ殺っちまって、あとからみんなに聞こえる様に大声で片手に首をかかげ
『敵将っ、この関羽が討ち取ったりィ~~』
みたいな一人で叫んでたパターンだったんじゃないの~本当は…
もしくは部下が敵将を殺ったのに、それを見た黄忠あたりが部下に
『ワシの殺った事にせいっ、いいな?』とか
半分脅しで手柄を横取りしたって事も十分有り得ますよね?
と言う事は三國志だけでなく、日本の戦国武将でもあったって事ですよね?
そんで結構歴史が歪められて現在に至る偽武勇伝も否定出来ませんね。
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ゲームカテの有名人がいらっしゃいましたね(笑)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166459741
手抜きでスミマセンがこの手の質問は散々過去に出てますがこの既出の質問へのご回答で答えはでてます
hidaka1125様やbap960428様の答え辺りがFAだと思います
基本その人物の伝には本人にとって不名誉なことは書きませんがそれ以外の人物の伝に書かれたりするので
『あったとしても実際は、なんか森の陰とか、後ろからブスっと暗殺まがいな感じでコッソリ殺っちまって、あとからみんなに聞こえる様に大声で片手に首をかかげ
『敵将っ、この関羽が討ち取ったりィ~~』
みたいな一人で叫んでたパターンだったんじゃないの~本当は…
もしくは部下が敵将を殺ったのに、それを見た黄忠あたりが部下に
『ワシの殺った事にせいっ、いいな?』とか
半分脅しで手柄を横取りしたって事も十分有り得ますよね?』
基本その人物の伝には本人にとって不名誉なことは書きませんがそれ以外の人物の伝に書かれたりするので
無論絶対ないとは言い切れませんけど質問者様がおっしゃるような可能性は少ないですよ
個人の伝がある者特に関羽(同じ巻に記載される黄忠も同様 無論関羽ほどではないが)のような大物になればなるほどその人物に関して記録は残り性格など細かく書かれます
例えば関羽は性格が傲慢なところがあるのは伝を読めば分りますしおっしゃったような事例は可能性はかなり少ないと思って差し支えないです
frogman03544様>私の有名人という言葉で誤解されたかも知れませんがこの方は話しが分らない方ではありません
まさかfrogman03544様が来られるとは思いませんでした(汗)
ちょっと私の『有名人』という言動の意味がマズイ意味としてお取りになられたかもしれません
誤解を招く表現だったかもしれませんので質問者様とfrogman03544様に謝罪させていただきます スミマセン
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アザラシさんのご回答で全てだとは思いますが・・・。
こういったご質問を私もよく拝見しますが、
質問者さんが疑問に、疑心に思われるように、
まさに、目の前で血肉が飛ぶような状況、
を正史の陳寿が、注釈を書いた裴松之が実際に見た訳でなく、
当然、演義の羅貫中なんて聞いた話の、又聞きの又聞きです。
正史に一騎打ちがあまり見えないからという事実は別にして、
例えば、三国志でいうと、
劉備が曹操に一騎打ちを挑んだとして、
結果的にどちらかが討たれたとしたら、
歴史が違う状態になりますので大事件ですが、
「たかが」一武将の・・・。
といってしまうとファンには怒られますが、
関羽が名も知らない雑兵に、
「たまたま」
討たれたしても、
三国志にとってはそれは大事件ですが、
1国の君主クラスが歴史から消える事に較べたら、
歴史にとっては、1行描き加えるか程度の影響しか与えません。
(関羽が呉に亡命したらくらいの激震があれば・・・。)
黄忠が部下の手柄を横取りしても、しなくっても、
三国志にとっても大勢変わりしませんし、
歴史はのちろんビクッともしません。
日本史は守備範囲外なので、口は挟みませんが、
三国志から1500年も経った時代の話、
まったく無いとか、尾ヒレが付いてないとは私も思いませんが、
西暦200年の講談生まれよりは信憑はあるんじゃないでしょうか?
質問者さんが仰るように偽武勇伝に色塗れていたとしても、
歴史の流れの本筋をワザと曲げている物語
(生きている人物を殺したり・・。)を創造してるんでなければ、
歴史が歪められてるほどの影響を与えられるほど、柔なものではありません。
歴史は疑ってるのも大事だと思いますし、否定されるのは論評しませんが、
それは自分の思考で止めておいて、
同意を選ろうとするのは、失礼ですが無粋ともいいますよ。
《追記》
アザラシさん。いえいえ全然、深く考えていませんでした。
余計な言葉かもしれませんので削除します。
世間に疎いもんでスミマセン。
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あったかもよ?・・・まっ、演義の創作と考えるのが自然ですね。僕も含め著者達だって実際に見た訳じゃないだろうし・・・。
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三国志の頃の場合は一騎打ちは本当にあった可能性が高いと思われます。
人口があまり多くなく、武器の破壊力もあまり高くないために戦いで全力でぶつかり合うと消耗が大きく、生産力が下がりすぎるからこそ、ある程度のところで一騎打ちでけりをつけていたと思われます。
日本の戦国時代になると元冦の影響もあり、集団戦が主となったので一騎打ちはあまり無かったのではないかと思います。
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