2012年3月23日金曜日

三国志で、関羽と引き分けになった老将の黄忠がいますが、黄忠が若くて全盛期の頃...

三国志で、関羽と引き分けになった老将の黄忠がいますが、黄忠が若くて全盛期の頃に弓で呂布と一騎討ちしたらどちらが勝ちますか?

そもそも黄忠は、老いてから強くなったのでしょうか?

若い頃から化け物だったのでしょうか?


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ひとつ言っておきますが、正史『三國志』には黄忠の生没年は書かれていません。

つまり劉備の配下になった時に黄忠が何歳だったのか、今となっては誰にも解らないのです。

「弓の名手」も「老将」も、小説である『三国志演義』が作り上げたイメージに過ぎないのです。



ちなみに、黄忠の前半生はほとんど分かっていません。劉表によって中郎将に任じられており、劉表が荊州に赴任したのは190年なので、活躍時期は少なくとも190年以降~220年頃までの約30年という事になりますが、仮に中郎将任官が初めての仕官だった場合、通常は20歳前後で官職に就きますから死亡時ですら50歳前後だったという事になります。また仮に中郎将任官が30歳頃と遅かったのなら、それは能力を認められていなかったという事になり、それはそれでイメージを崩す事になりそうです(^_^;



黄忠は人生も後半になって、劉備の配下になってから活躍して後将軍にまで登り、関羽・張飛・馬超らと同等の評価をされるまでに至った。

特筆されるべきは、定軍山で名将・夏侯淵を討ち取る殊勲を挙げた事。

分かっているのはこれだけですよ(^_^;



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黄忠は勝てないでしょう



呂布は張飛、関羽、劉備の3人とも互角に戦ったといわれています


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黄忠は演義では弓の名手ですが正史では弓が上手いなどの記述はありません



呂布は演義ではもちろん弓の名手であり正史でも弓の扱いに優れていたと記述されています





以上のことから呂布の方が強いでしょう、演義はあくまで劉備たちが主人公の小説ですからね



実際に考えると若い頃の方が体は丈夫ですけど、体が丈夫でも当時は一騎打ちは全くと言うほどなかったので、年をとって部隊の指揮が上手くなったと考えるのがいいと思います







長文失礼しました。


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三国志で弓の名手と言えば、呂布、魏の曹仁、呉の太史慈と甘寧。黄忠が弓の達人となっているのは演義だけで正史には記述がない。なので、呂布と一騎討ちなんて黄忠が可哀そうな気がします。


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「老いてますます盛ん」ということわざは黄忠のために出来た。



老いる前も充分強かったと思います。

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