2012年3月23日金曜日

三國志 赤壁の戦いは曹操軍は本当に壊滅的打撃を受けて敗退したんですか?

三國志

赤壁の戦いは曹操軍は本当に壊滅的打撃を受けて敗退したんですか?



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壊滅的…とまでは言えないでしょうが、かなりの打撃をこうむったのは間違いないですね。zigentaishiさんのおっしゃる通り、江陵に曹仁を残したのみでせっかく占領政策を進めていた荊州南部を全て孤立させ失っています。

ただし、赤壁の戦いで失った有力将校はいませんし、210年には早速孫権を攻撃していますから、打撃はこうむったけれども壊滅した訳ではないでしょう。



そのあたりを考えてみても、疫病が蔓延して早期撤退をした…というのが妥当な線かと思います。



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かなり痛い打撃を受けたことでしょう。

特に水軍が。

三國志演義だと曹操は関羽や趙雲、張飛に殺されそうになりましたし。


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手痛い打撃だったのは確かでしょう。曹仁のみを江陵に残し、その後江陵を救援することが出来ませんでした。荊州南部に劉巴を派遣するタイミングも遅れ、結果的に劉備の飛躍を許してしまいました。軽症ならばこの曹操の鈍い動きに説明がつきません。

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