三國志の呂布は結局死に急いだ救いようがない愚者ですかね?いいように使われ踊ららせ裏切り殺される
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陳寿が呂布をこう評しています。
「吼える虎のごとき勇猛さを持ちながら、英雄の才略無く、軽佻にして狡猾、裏切りを繰り返し、眼中にあるのは利益だけだった。
古から今までの歴史上、このような人間で破滅しなかった試しは無い」
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短慮で長期的視野に欠け、戦略がからきしだった観は否めません。しかし、そんな彼にこんなエピソードがあります。
曹操に投降して処刑にされそうになったとき、自分を用いてみないかと命乞いをします。そこへ劉備が「この男が丁原や董卓にしたことをお忘れではありますまい」と曹操に忠告しました。
それを聞いた呂布は「こいつこそ食わせ者だ!」と劉備を罵りながらくびり殺されましたが、その後、劉備が劉璋から蜀を奪った経緯を振り返ってみると、人を見る目は結構鋭かったと思います。
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それは、後に継がれた話だと信じてます。
乱世はそれぞれの生き方(進み方)が有ったとおもいます。
真実はその人、本人しか解らないと…。でも時代を動かした人物にはかわりありません。
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違うと思います。
陳寿の評であろうと、後世の評価です。彼の伝にもその他の人物の伝にも相当な数の部下や協力者が名を連ねています。
彼が愚者なら、そんなにたくさんの人たちの人生に関わることができたでしょうか。
また、いいように使われたように見えるということは、それだけの実力が彼にはあった、ということでもあります。利用するだけの力がなければ、もっとあっさり滅ぼされて、正史に伝も立たなかったことでしょう。
・・・まぁ、だからといって彼が好きなわけでも、あこがれるわけでもありませんが、救いようがないほど愚かだったとも思いません。行いは軽率で愚かな部分があったかもしれませんが、彼本人が愚かだったり、ダメだったことにはならないと思います。
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野心が強すぎたのだと思います。目先に利益があるとそそのかされると、よく考えずに飛びついて、その武将の信頼を失うことを繰り返していたので、折角、武人としては突出した実力を持っていたのに誰か制御できる軍師が得られなかったことはもったいないです。
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