三国志の孫家は、なぜ江東の孫家か?
父孫堅は、長沙出身、兄孫策の代で江東を制圧しました。ならば、よく小説・ドラマにに言われるように「孫家は江東を3代によっておさめた」は、間違っていて、2代ではないですか?また、江東と孫家のかかわりは、孫策からという理解でよろしいでしょうか?父孫堅と江東はつながりがあるのでしょうか?
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まぁ孫堅は「治めて」はいないですね。ただ他の方の仰るように孫堅は呉郡出身であり江東の人物です。さらに孫堅が各地を転戦してる間も、妻の呉夫人や息子の孫策は舒や曲阿など長江流域で生活しています。そして呉夫人の実家の呉家は江東の豪族であり、呉家の家長であった呉夫人の弟の呉景は孫堅配下として戦っている。また、孫堅の妹をこれまた江東の豪族の徐真の妻としており、徐真の息子の徐琨も孫堅に付き従って戦っています。つまり孫堅は呉家や徐家を通すことで江東における一定の影響力はあったものと思われます。関わりは相当深いですよ。
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孫堅は呉郡富春の出身なので故郷は江東と言えます。
また、出身地近辺の郡県に出仕し、その後、叛乱鎮圧の功績から長沙太守となってますね。
呉郡出身の孫堅が基礎を造り、長男の孫策が江東を領有し、三代目の孫権が三国の一方を担ったと考えれば妥当かと。
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