三國志が著者によってストーリーがかわるのはなぜですか?
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まったく同じなら、そもそも別の著者がわざわざ書く意味はないでしょう。まあこれでは、みもふたもありませんが。
正史「三国志」は史実を連ねた歴史書ですが、正史から1000年以上も後に出た「三国志演義」は、物語部分が随所に出てきますね。正史にはない架空の人物まで登場したりします。
三国志を通して著者自身が、自身の価値観を表現したかった場合に、ストーリーを変えるという事は起こるだろうと思います。
著者が自分の理想とする好きな人物に高いポイントを与えるためには、変更を出すものでしょう。なにしろ人は、同じことをやっても、解釈次第で「行動が早い人」にもなれば「せっかちな人」にもなるわけですから、どうにでもなるというものです。?
もうひとつ、やはり作品が人気を得るためにも、庶民の求めるものをより誇張して書くという事も重要でしょう。そのために、面白おかしく変更を加える事だってあるわけです。三国志演義の方は物語ですから、この2つのやり方が含まれてもおかしくはありません。
現代日本でも三国志の漫画が多種ありますが、「蒼天航路」などは作者の価値観を表現するために、かなり変更を加えられていますよね。
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正史「三国志」からして、編纂した人物の感情がうかがえる
部分があるとされます。同時代の人からすら疑問の余地が
ありそうです。
それを書物から知ることしか出来ない現代人としては、なおの
こと疑問をさしはさむ余地が生じます。そのため作者ごとに、
人物や出来事の評価が異なってきます。
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普段三国志と言っているものも小説です。羅官中と言う人が書きました。が、その以前にも小説やら演劇など、お話としての三国志は存在していました。
そもそも歴史書としての三国志は面白く有りません。なぜならそれは事実の記録であって、おはなしではないからです。
かつての英雄達の活躍を面白おかしくする為には、人間的な感情が必要になります。
その先は人それぞれ。ああだこうだとお話を考える事になるわけです
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小説だから、著者がストーリ展開は自由にできる。
正史「三国志」は変わっていません。
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