三国志史実での曹操の輝かしかった策略を聞きたいです!演義の中にあるやつでも構いません。
他の策略家たちのもききたいです!
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曹操の最大の戦果は西暦192年頃の黄巾族の平定に尽きるのではないでしょうか。
一時なりを潜めていた黄巾族が青州で蜂起します。太僕の朱儁(しゅしゅん)の推薦で当時の東郡太守の曹操が斉北の相である鮑信とともに賊の平定を命じられます。鮑信はその戦いで戦死するが、曹操は賊兵30余万と男女100余万を降伏させることができます。
曹操は彼らのなかから精鋭を選び抜き「青州兵」と名付けます。そして、残りの者は帰農させることに成功します。いわゆる『魏武の強ここになる』と言われるほどの大きな兵力を得るこことなります。
実は曹操は武力で彼らを降伏させたと言うよりも、彼らと契約したと言った方が正しいのかもしれません。曹操は兵力を黄巾は食料をと、お互いの思惑が一致したといったところでしょうか。彼らはその後魏軍の大部隊となって活躍しますが、曹操が死んで曹丕が立つと彼らはいずことなくいなくなってしまいます。
まさに、曹操と黄巾の個人契約であり、魏とは主従関係になりたくなかったのではないでしょうか。曹操の偉大さが分かる故事ですね。
この青州兵の獲得により、曹操の名は天下に知れ渡り、その傘下に、荀彧、荀攸、程昱、郭嘉、などの謀臣のみならず、
干禁、満寵、典韋などの猛将も集まり、後の魏の中枢をになう人物が揃い始めることになります。
あと、官渡の戦いが有名ですが、これは曹操というよりも「荀彧」の名言が有名ですね。
興味があれば「至弱をもって至強にあたる」で検索してみてください。
補足
曹操の計略がみごとにはまった物として、『渭水の戦い』があります。
曹操VS馬超・韓遂連合との戦いです。
この戦いは最初曹操が押され気味でしたが、賈詡(かく)の進言により「離間の計」を図る。この作戦がうまくはまり韓遂は馬超を見限ります。まんまとうまくいった戦いでした。
詳しくは↓
http://wakarusangoku.fc2web.com/sensou/doukannotatakai.html
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