三国志。
チョウセンは実在しない架空の人物だそうですね。では呂布はなぜ董卓を殺したの?
連還の計はなかったはず…
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『三国志演義』に描かれる貂蝉という女性のモデルに関しては、nagoyauxiroさんのご説明の通りです。
董卓暗殺のいきさつとしては、その「侍女との密通発覚を恐れた」のと、もうひとつ、呂布と董卓が争った事があり呂布が董卓に不信感を持っていた事が正史『三國志』に挙げられています。
ある時、呂布と董卓はちょっと争った事があり、董卓は手戟(投げつけて敵を攻撃する武器)を呂布に投げつけた。呂布が素早く避けて詫びたので董卓の気持ちは収まったが、呂布はひとり落ち着かなかった、と。
浮かぬ顔をしている呂布を王允が気付き話を聞くと、董卓に殺されかけた、という。「殺される前に董卓を討て」という王允に対し呂布は「しかしあの人は親だから」と渋ると、王允は「将軍の姓は呂であり、董ではありませんぞ」と諭し、ついに呂布もその気になった…。
という事で、侍女に「貂蝉」と名がついて王允が送り込んだ事になっている以外は、『演義』はほぼ『正史』を踏襲しています。
ちなみに李粛も抱き込んだ王允は、ニセの詔勅(天子からの命令)を仕立てて李粛を董卓の元に派遣し、宮中に呼び出します。何も知らずに董卓は丸腰で参内します。
(天子に拝謁する際には武器を持たない決まりがある。ただし董卓は剣を帯びたままでよいという特権が適用されていたはず)
左右の物陰から武装した衛士達が飛び出し董卓を囲むと、董卓は驚き、後ろに控えた呂布に護れと命じます。しかし呂布もグルなので「(お前を討てとの)詔である」と言い捨てて董卓を刺殺します。
これが、正史における董卓暗殺のだいたいの流れです。
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史書『三国志』の「呂布が董卓の侍女と密通し、発覚をおそれて王允に相談したが、董卓打倒を考えていた王允はこの際、董卓を討てと進言し呂布はそれを実行した」を引き、この「董卓の侍女」こそがモデルで、後世の講談や物語において架空の名前をつけたとする説がある。
だってお
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