2012年3月12日月曜日

三国志でこれは最高レベルの嫌がらせだなと思う出来事は何ですか? できれば 被害...

三国志でこれは最高レベルの嫌がらせだなと思う出来事は何ですか?

できれば 被害者:○○

加害者:××

嫌がらせの内容

といったかんじに書いて下さるとありがたいです。


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被害者:于禁

加害者:曹丕



内容:龐徳が斬死し于禁が生き残った事を辱めるため

わざわざ壁画を描かせて居並ぶ高官の前で皮肉ったこと。

・・・人材を新規一転したかったのかは不明だが

(叔父の曹洪を逆恨みして就任後罰を科したり・無能な夏侯某を将軍に登用したり)

現場一筋の老将は名誉職につかせ余生を過ごしてもらえばよいものを・・・。



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被害者 曹植

加害者 曹丕



嫌がらせの内容:実弟を自分が死ぬまで冷遇しました。

220年、曹操が没すると側近が次々と誅殺され、221年には安郷侯に転封、同年のうちに鄄城侯に再転封、223年にはさらに雍丘王(食邑二千五百戸)、以後浚儀王・再び雍丘王・東阿王・陳王(食邑三千五百戸)と、死ぬまで各地を転々とさせられた。 この間、皇族として捨扶持を得るだけに飽き足らず、文帝曹丕と明帝曹叡に対し、幾度も政治的登用を訴える哀切な文を奉っている。特に明帝の治世になると、親族間の交流を復することを訴える文章が増える。230年、母卞氏が没し、最大の庇護者を失う。その後も鬱々とした日々を送り、232年11月28日、「常に汲汲として歓びなく、遂に病を発して」41歳で死去。

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