2012年3月6日火曜日

三国志夏候惇様について 謝罪

三国志夏候惇様について 謝罪

以前、三国志 夏候惇様について 質問した者です。



こちらの手違い投票によるBAが決まらず削除され、お礼もポイントも差し上げられませんでした。



大変な無礼をお許しください。

また、同じ質問を2度、同じ回答を2度させた無礼をお許しください。



以前、適切な回答(後漢時代~)をいただいた回答すら見れない状態となってしまいました。

回答していただいた方さえわからない状態です・・・まことに申し訳ありません。



なにとぞ今一度、以前回答していただいた方(孔明先生と同等な扱い、自らも田を耕した~)にBAに差し上げたいと思います。

よろしくお願いします。m(_ _)m



どんな人物であったか知りたいのですが何か詳しく書いた書物を教えていただけないでしょうか?



三国志正史、演義 その他にも何かないでしょうか?



矢で目を射抜かれて、親にもらった大事な体だと言って食べてしまった。



お墓からは、一振りの剣くらいしか、出てこなかった。

必要な財産以外は民に配った、自らも民と一緒に農耕していた。



敗戦の折、自らを十字架に結びつけて曹操の前に自ら出向いた



もっとどんな人物であったのかわかる書物を教えていただけるとありがたいです。



よろしくお願いします。


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これかな?一部抜粋、改鋳。



「目玉を食べた、と言うのは演義の脚色ですね。



基本は正史に載っていることがほぼ、夏侯惇に関する情報の9割9分

ぐらいを占めています。後は彼と関わりのあった人物例えば韓浩とか

の伝を読むと夏侯惇側の伝には載っていないエピソードとかが載って

たりします。



ゲームとかのイメージで猛将のようにも感じますが、どちらかと言え

ば政治家ですね。防衛庁長官、と言ったとこでしょうか。だから大軍

を統率する能力は優れていますが、自らが前線で戦うタイプではあり

ません。



意外かもしれませんが諸葛亮とかと立場は良く似ていました。だから

平時は農作業を自ら行なったり川が氾濫したら土嚢を敷き詰める作業

の指示を行なったりと内治で実績を残したりもしています。



と言うことで色眼鏡抜きで正史を読むと意外な夏侯惇像が見えてくる

と思います。後どこまで出てくるのかは私もはっきりと言えませんが、

後漢後期は三国志前期と時代が被っています。つまり後漢書の後期の

人物のところには三国志の人物もかなり出ています。呂布やら楊修と

かはこっちに伝があったりもしますので、そっち方面から夏侯惇に関

してアプローチすることも可能だと思います。



正史三国志、正史後漢書、この辺りは良い資料になるかと思います。

同じ場面でも微妙に内容が違ったりと比較もできるでしょう。」



一応自分の書いたものです。他の方のがどんな内容だったかは忘れて

いますが、曹操が前線にいる時は本拠地を守り、逆に曹操が動かない

時は彼が軍を統率する。曹操の名代のような立場だった訳です。



上では政治家のような立場と書いてますが、その一方で気性はかなり

荒かったらしく、自分の師を侮辱した人物を殺害したり、鏡で自分の

顔を見ると怒って鏡を叩き付けたりしてたそうです。



ある意味では政治家らしくない、非常に面白い人物だと思いますね。

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