三國志の質問ですが
三國志には一騎当千と言われる猛将がでてきますが彼らは中国歴史上で比較してどのくらいの評価があたえられるでしょうか?
たとえば呂布、キョチョ、テンイ、ガンリョウ、ブンシュウ、五虎将などです。やはりこの時代のこれらの武将は他の時代とくらべたら劣化品なんでしょうか?よろしくお願いします。
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劣化品ってことはありません。相対的にみて、どの時代もたいがい戦争しているわけなので、時代の幅をひろげて勇猛な将の数がふえればふえるほど、際立たなくはなるでしょうけど。
そもそも無理に比べなくていいのではないでしょうか。
cacao6513さん
後漢末三国以前で一騎討ち、ですか。鐙すらない時代に一騎討ちなんてそうそうできるものではありません。春秋時代の戦車戦なら、似たようなことは多々あったでしょうけれど、あれは人数的には3対3で、たとえ一台の戦車であってもチームワークです。
むしろ、いわゆる五胡の流入がふえてからのほうが一騎討ちや一騎がけのような戦い方が増える(といいますか、個人の武勇を誇るような記事が増える)ように感じます。
大将が陣頭で指揮をとるのは珍しいうえに兵たちもがんばるからこそ、史書に明記されるわけで、特に項羽や光武帝のような一級の人物だけでなく、優秀な指揮官には時代にかぎらず陣頭の将はいるものです。北魏の爾朱栄(このひとばかり私は例に出しますが)は7000騎の騎兵の陣頭指揮をして数十万の反乱軍を決戦で粉砕しましたが、後にはいくつもの軍を後方から指揮して、洛陽を占拠していた南朝の精鋭を追い返しています。
後漢末三国の転換点というはなしではなく、爾朱栄一人でその戦法の転換ができています。
私の中では、中国の歴史上、一騎討ちの最も有名なものは隋末唐初の秦叔宝vs尉遅敬徳なのですが。
古代ヨーロッパはローマが有名ですが、あの国は集団密集隊形での集団戦です。一騎討ちなんてもっと後、ゲルマンが西ヨーロッパに進出して、騎士とかが出てきてからでしょう。吟遊詩人のかたる騎士道ものとか、そんな一騎討ちな世界だったように感じますが。
質問者さま。wikiでもいいので、統一王朝の建国時と混乱時、あとは分裂時代の武将を何人かごらんになってみてください。なかには「うわ、こいつ呂布よりすごいんじゃないの?」と思える人物もいるでしょう。すでに他の回答者さんがあげておられる楊大眼など、そうお感じになるかもしれません。しかし、実際に呂布と楊大眼が戦ったわけでもなく、許チョと文醜が腕相撲をしたわけでもありません。他の時代にも、人外か、と思える猛者がいたんだな、くらいでいいのではないでしょうか(^.^)
猛者であれば、隋の麦鉄杖と沈光あたりはWikiでもみれるのではないでしょうか。南北朝は将の和訳記事がけっこう充実している印象です。
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猛将として中国史上でも特筆されるべきは
呂布
関羽
張飛
孫策
張遼
といったあたりでしょうね。彼らはいずれも比喩表現や諺などで後世にも畏れられる存在です。
顔良、文醜、典韋、曹仁、甘寧、董襲、魏延、傅僉などなど、三國時代に猛将と呼ばれるべき人物は多くいますが、他の時代と比較しても遜色ない評価をされ、名が伝わる有名人のレベルは上記の5名ぐらいですね。
ただしこれは例えて言うなら、日本プロ野球界で毎年オールスターに出るような一流選手でもメジャーリーグでは無名、というのと似たような話です。
中国史上で例え高い評価ができなくともその個人の能力や実績にはなんら傷はつきません。
劣化品だなどとは、とんでもない暴言ですね。彼らは過去の時代に実際に生きていた「人間」たちなのですから、まるで部品の優劣を見るかのごとき言い方は不適切極まりない。遠い昔に生きていた先人達への敬意を持って頂きたいものです。
あとbap960428さんがすでにご指摘ですが、いわゆる一騎討ちは鐙が発明されて馬上戦闘が可能になった南北朝時代から増えてきます。
cacao6513さんのおっしゃる戦法変革は戦車戦から歩兵の集団戦法への変遷を指しているのだろうと思いますが、それは前漢時代の話であり三國時代にはそのような変革は特に見られません。
三國時代の騎馬戦闘は、馬の突進力を活かして敵歩兵陣内に斬り込んでかき乱すのが主流だったと考えられます。
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いくら優れていても君主がバカっぽいと消えて無くなります。なので、その豪傑達を劣化品と例えるのは酷というものです。ただ、呂布は別格だと思います。
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三国時代というのは、従来の戦法が大きく変わった変革の時代です。
それまで戦というのは、大将が戦闘に出て戦うものでした。一騎打ちってそのあと聞いたことあります?ないですよね。つまり、大将の力強さで、兵士たちの士気が変動し、勝敗にかかわってくる時代だったのです。古代はヨーロッパも日本もそういう戦い方です。前漢の高祖劉邦も反乱鎮圧の際に流れ矢に当たり、それが元で亡くなったとありますが、やはり前線に出る戦い方だったのです。
ですが三国志後期では大将が戦闘の序盤で死ぬということをあまり聞いたことがありませんよね?ようするに、戦闘が個人戦から集団戦に大きく転換したわけです。そうなると諸葛亮などの軍師の活躍の時代になりますよね^^
三国志が面白いのは、序盤から後半にかけて、戦いの主役そのものが変わっていることも理由に挙げられるのです。
後世にも彼らのような力自慢はいたでしょう。ですが、遠距離攻撃法が発達したことなどにより、大将は前線に出れなくなり、むしろ指揮能力が重視されるようになった。そうなれば活躍の場は自然と減りますし、名前もあがりません。
答えとしては、どの時代にも彼らのような存在はいるだろうということです。
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ああ、チョウウンのことですね。
一騎当千とは、一人で1000人を倒せる、優れた武将のことです。
チョウウンは、関羽に、助けを求めに行ったら、傷を負った劉備の妻に会い、その息子の劉禅も一緒でした。
そして、この子を頼みますといい、劉備婦人は、井戸に身を投げ出しました。
しかし、そこには曹繰軍。でもチョウウンは、劉禅を守るため、勇敢に戦ったっていうのが、一騎当千です。
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猛将=個人的戦闘能力、実戦時の戦闘指揮官としての能力に優れ、一方で、戦略的・政治的能力は今一つの人物と定義すれば、三国時代ではやはり呂布、関羽、張飛が後世に名を残す猛将といえるでしょう。他には、文鴦も有名です。
中国史上ということであれば、項羽、白起、楊大眼など、とてつもないレベルが存在しますが、この中で三国時代以後の人物である楊大眼を「関羽、張飛がよみがえってもかなわないだろう」と評した記録があります。これは、逆に言えば、明代の作品である演義が出る以前から、関羽、張飛は歴史上の猛将として充分認知されていた証左といえると思います。
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三國時代は長い中国の歴史の中でも激しい戦乱が長く続いた時代です。そんな時代を生き延び、活躍し、名を上げたのですから優れた武将達なのでしょう。また、厳しい時代だからこそ力のあるもの達が身をたてる為に参集したという事も有るでしょうね。
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