2012年3月23日金曜日

三国志時代に出てくる異民族の名前、位置などを教えてください。 詳しく、誰がど...

三国志時代に出てくる異民族の名前、位置などを教えてください。



詳しく、誰がどの辺りに侵攻した。など教えてくれると嬉しいです


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◇匈奴

匈奴は、衛青・霍去病との度重なる合戦で勢力が衰退し、後に内紛が発生して南北に分裂します。建安二十五年(西暦二一六年)、南匈奴の呼厨泉が配下を引連れて魏王国へ来朝し、曹操は彼等を厚遇します。



◇烏桓

烏桓は、匈奴に替って勢力を拡大し、支那北部へ度々侵入します。中平三年(西暦一八七年)、中山太守張純が烏桓と連帯して青州・徐州・幽州・冀州へ侵入します。中平五年(西暦一八八年)、幽州牧に任命した劉虞は、其の張純を討伐します。

烏桓・鮮卑の中で暮らして頭角を現した閻柔は、建安五年(西暦二〇〇年)に曹操へ使者を送って従臣し、建安十年(西暦二〇五年)に配下の烏桓・鮮卑を引連れて曹操の許に参上します。後に曹操は、幽州・并州で閻柔が統率する烏桓を内地へ移住させ、烏桓兵を自軍へ編入します。



◇鮮卑

鮮卑は、烏桓と同様に支那北部へ度々侵入します。建安十六年(西暦二一一年)、鮮卑内で勢力を拡大させた軻比能は、閻柔に味方し、叛乱を起こした田銀討伐に協力します。が、建安二十三年(西暦二一八年)、軻比能は背いて支那へ侵入攻します。曹操は息子曹彰を派遣し、此れを撃退します。

太和五年・建興九年(西暦二三一年)、諸葛亮が第三次北伐で軻比能へ出兵を要請します。軻比能は、要請に呼応して郡石城へ進出しますが、其れ以上の積極的な行動を見せずに撤退します。



◇羌

光和八年(西暦一八四年)、黄巾の乱が発生して支那が大混乱に陥ると、羌を含めた中原北西部の異民族が動き出します。同年、羌の部族先零羌と盗賊が連帯し、涼州へ侵入します。



◇山越

山越は、現代の江蘇省南部・安徽省南部・浙江省北部、長江下流南岸の山間部に散在した少数民族です。歴史書『三國志』の『呉書』に伝が有る将軍は、粗総て一度は山越討伐を経験しています。特に賀齊は、粗一生を山越討伐に捧げます。後に山越は、諸葛恪の巧妙な処置で帰順します。



◇西南夷

西南夷は、南中と呼ばれた益州南部、現代の貴州省西部・雲南省の山間部で国家を形成した各部族の総称です。建興元年(西暦二二三年)、劉備崩御を知った西南夷が一斉に蜂起します。建興三年(西暦二二五年)、諸葛亮が南征して西南夷の蜂起を鎮圧します。



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武都にはテイ族や羌族についての記述が見られますし、蜀の南部では蛮族があります。

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