2012年3月8日木曜日

三国志のことです。 なんで戦乱の世は始まったのですか?


三国志のことです。

なんで戦乱の世は始まったのですか?



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宦官や外戚の専横、政治の腐敗等色々あるでしょうが

近年の研究により、根本的な原因は世界規模での大規模な気候変動が

長い戦乱の原因と言われています

中国の歴代統一王朝ですが、

殷・周・秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清です

細かく記載すれば新や西晋、五胡十六国など多数にのぼりますが

あくまで統一王朝としています

三国志は漢の末期(後漢時代)から戦乱が始まるのですが

(※厳密には三国鼎立からですが、ここでは黄巾の乱からとします)

実質は三国時代だけにかぎらず黄巾の乱から漢が滅亡し

次の統一王朝である隋の統一まで実に400年間ものあいだ

戦乱が続いていたと考えられます

(※黄巾の乱から隋まで、西晋は統一期間が短いためこれも戦乱の影響と考える)



近年の研究により当時の文献に記される自然現象解析や、

世界各地の土や氷などから、その時代世界的に地球の寒冷化が

進んでいたことは間違いないと言われています。

寒冷化によって民族の大移動が起きていたと考えられます



北方の遊牧民族などが牧草を求めて南に南下して、

中華の農耕民族(漢民族)と紛争状態になります。

また漢民族も今まで住んでいた土地で気候変動により農作物の

凶作が起き飢饉となり北方民族と争いながらも南方へと移動しようとします。

しかし南方でも越族などの民族がおり、こういった民族と紛争状態となります。



たかだか民族の移動と思われるかもしれませんが、

ゲルマン民族の大移動による西ローマ帝国の滅亡など

民族移動によって紛争や騒乱が起こる例は世界中にあります

また寒冷化によって作物が取れなくなり、中国の人口はその時期は

最盛期の10分1まで落ち込んでいます

(※資料で確認できる戸籍上での比較)



少ない資源を争うようになりなかなか統一王朝が生まれず

西晋などの統一王朝が生まれても治世が長く続かずに滅亡した

根本原因であると考えられます

三国志演義などでは華やかな世界観が描かれていますが、

歴史的にはどん底の少ない資源の味噌っかすを奪い合うような

世界だったと言えます



もちろんそれぞれの戦乱には個別の理由や原因があるのですが

背景として世界規模の寒冷化があり戦乱の遠因であったとするのが

現在の通説です


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後漢では名門氏族出の皇后が夫の死後に一族(外戚)を栄達させ、政治を思いのままにするという傾向が強く、一方、息子の新皇帝は宦官を用いてこれを排除するという事を繰り返し、これによって官僚の中核となるべき名門氏族の多くが登用禁止処分となっていった。

一方、宦官の方に野心家がいないかというとそうでもなく、外戚を排除するごとに大勢力となり今度はこっちが政治を思いのままにするという傾向が強まっていった。

また、こうした政争の中で皇帝の多くが若死し後継者が傍系の皇族から迎えられるということもあった。

霊帝はこうした傍系皇族の出身で政治には興味が無く、個人的な財産が少ないわりには贅沢を好んで、ついには高位の官職まで売りに出し銭に代える有様であった。

銭が無いと出世できないとあって、各地の役人は庶民から搾れるだけ税を搾り取るようになり、黄巾の乱など反乱が続発した。

これらの反乱の鎮圧の過程において、国軍の無能・無策が知れ渡り、各地の太守や豪族は私兵を養って台頭していった。

そうした中189年に霊帝が死ぬと、後継者争いと政権争いが勃発し、宦官勢力と外戚勢力がいっぺんに両方滅亡する事態となった上にこの政争に各地の群雄を招集したため、朝廷が都の騒乱すら収められないことが露呈した。

さらに群雄の中の一人に過ぎない董卓が皇帝の廃立を行うにいたって朝廷は正統性を失い、群雄割拠の乱世となった。

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