三国志の曹操ですが、父親は宦官(義理)と聞きましたが、
実の親はどのような人物だったのでしょうか?なぜ、実の親と離れ、
養子になったのでしょうか?
貧しい家に生まれ不遇の幼少期を過ごしたのでしょうか?
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曹操の産みの父親は実の父で曹嵩、字は巨高(きょこう)で政治家です。
この曹操の父の曹嵩が宦官の中常侍・曹騰の養子となり曹氏を継ぎました。
高位の宦官は養子をとって家名を存続することが可能でした。
曹嵩は夏侯家の生まれで夏侯惇の父が実の兄です。
その性格は慎ましやかで、忠孝を重んじたとあります。
官僚として司隷校尉、大司農、大鴻臚を経て、太尉になっています。
勤務は真面目だったと書物で見たことがあります。
太尉までは曹操と暮らしていたと思います。
そしてその点、曹操には生まれながらの幸運があった。
それは財やお金ではなく、
創業の君主たり得るには本人の才能以外に生まれもっての幸運と言うつかみようのないものに恵まれなければ才能や高潔な人格を持っていても指導者の始祖にはなれないでしょう。
それは宦官を祖父に持ち、曹操は自分に向けられた侮蔑を敏感に察し、彼らが身を置く礼教社会(人間を儒学の掟で縛る社会)がいかに偽善に満ちているかを知り、騒乱を鎮めるのに礼教社会は全く役に立たないと覚った。
だからこそ曹操は伝統やその時代の習慣、決まりごとに囚われない自由な発想ができ、その発想は常に皆の意表を衝いたのでしょう。 っと書物にあるのを見たことがあります。
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曹操の祖父が宦官であって、父親は実の父親一人しかいません。
曹騰(?-?)
曹操の義理の祖父。
年少の時宦官となり、皇太子(順帝)の学友として抜擢され、以降4代の皇帝に仕えて高位に昇って権勢を振るった。
コレと見込んだ人物を推挙するのが好きな人物であったが、彼らが栄達しても見返りを求めなかったという。
5人目の主君となった桓帝の時には高齢ですでに宮仕えを退いていたという。
曹嵩(?-195)
曹操の実父。
宦官・曹騰の養子で夏侯氏の出で夏候惇の父の兄弟とされる。
官僚として司隷校尉、大司農、大鴻臚を経て最後には太尉にまで昇ったが、その後は政界を引退して戦乱を避けて徐州東北部にある瑯邪あたりに避難していた。
やがて曹操が確固とした基盤を築くと領地の兗州に戻ろうとした。
コレを聞いた徐州牧陶謙が護衛を付けて曹操に媚びようとしたが、この護衛は山賊上がりであったので逆に曹嵩一行を襲って皆殺しにしてすべてを奪い逃走してしまった。
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違います。曹操の父親の曹嵩が、大宦官の曹騰の養子だったのです。
曹嵩はもとは夏侯氏の出自です。
夏侯氏も曹氏ももとをたどれば前漢の功臣の家系です。
曹嵩がどういう人物であったかは詳述がないのですが、大尉の位を一億銭で買ったという大金持ちです。
なので、別に曹操は貧乏苦労をしたことはなく、幼少時はむしろ金持ちのボンボンですよ。
というより、そうでなければ普通は満足に学問することも役人に推挙されることもありません。
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