2012年3月6日火曜日

三国志で、劉備や蜀が善、曹操悪なのはどうしてですか?

三国志で、劉備や蜀が善、曹操悪なのはどうしてですか?

日本人だと判官贔屓というか負けた方にファンがつくということはままあることですが

悪政をしいたようには思えない曹操が悪人に描かれているのはなぜですか?


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それは、『三国志演義』の描く、劉備や曹操像であって、事実とは必ずしも一致するものではありません。曹操が悪者に描かれた理由は、日本人が判官贔屓というよりも、後世の儒家が南朝劉氏を正統としたからで、『演義』はその立場をとって曹操を悪者としたのです。



一般的に『三国志』というと、『三国志演義』のことを指す場合がほとんどで、正史『三国志』と『三国志演義』の区別がなくなってしまうこともしばしばです。『正史』に出てくる事、『演義』に出てくる事が同居したり、『演義』の人物評価が当たり前のようになって、曹操側が悪玉、劉備側が善玉とされています。



少し整理してみましょう!

①『三国志』は、蜀に仕えていた陳寿(233~297)によって晋王朝時代に書かれた史書六十五巻で正史です。曹操の魏から禅譲を受けた司馬氏の晋王朝を正統とし、帝紀を載せていますが、蜀書・呉書には、一地方政権であるので帝紀がありません。陳寿の簡潔な文章と内容の公正さは、後世の史家に高く評価され正史と認められています。もちろん曹操は悪玉ではありません。



②『三国志演義』は『三国志』をもとに、民間の説話・講談等もおりこみながら代々語り伝えられた物語です。

唐中期頃から、大寺院等の僧侶が布教目的で仏教の教理や功徳などを、民衆にわかりやすく説き聞かせる行事が行われていましたが、この“説き聞かせ”の行事で僧侶を相手とした「僧講」に対し、俗人を対象としたものを「俗講」といったようです。「俗講」は娯楽の少なかった時代、庶民の大きな楽しみともなり、長安の寺院で催される「俗講」の際には露天や見世物小屋まで設けられるほど賑わったそうです。しかし、次第に本来の布教から離れて娯楽化していったため「俗講」は勅命によって禁止されました。「俗講」の僧侶達は寺院を追放され巷(チマタ)の講釈師となり、盛り場等で「俗講」を演芸として語るようになったといわれています。この演芸化した「俗講」を口語で書きとめたものが白話と呼ばれ、明代になると文人によって纏められることとなりました。これらの白話の中の長編歴史物に「三国志演義」「水滸伝」などがあったのです。



③『三国志演義』が成立した時代背景

晋王朝はその後匈奴によって攻め滅ぼされ、皇室の一人である司馬睿がかっての呉の地に入って地元の豪族に推戴され建国したのが東晋なのですが、この頃、東晋では「蜀漢正統論」が出始め、宋代には三国のどこが正統かの議論は更に盛んになります。司馬光(『資治通鑑』の撰者)・欧陽修など名だたる歴史学者・文人等が魏正統論を唱えるなか、朱子学(儒教)の創始者である朱子は蜀漢正統論を主張し、朱子学が時代の主流となるに伴って劉備が善玉、曹操を悪玉とする考え方が広まります、それが大衆芸能であった『三国志演義』の人物設定に大きく影響したといわれています。

中国の人々にとっての宋代は、北から侵入してきた契丹・金・蒙古等異民族に中原(華北)を占拠された苦しい時代でもあり、当然のように華南に国都を置いた南朝(南宋)を正統としました。そんな風潮の中、本来は一般大衆とはあまり縁のない朱子学も影響を及ぼし、大衆芸能であったお芝居の『三国志演義』は南の蜀・劉備を正統とし、魏の曹操を悪玉にして演じられたそうです。つまり蜀漢劉備を南宋に、曹操の魏を華北の異民族国家のイメージにダブらせたのです。

それを明代に羅貫中が小説化したものが現在の『三国志演義』です。だから“曹操はとてつもない悪玉”に描かれてしまうのです。



そんなわけで、現在の『三国志』登場人物の評価は『三国志演義』によるところが大なので、当たり前の様に劉備や劉備側の人物が正義とされていまが、もしかすると史実とはかなり違うのかもしれませんよ。



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曹操は徐州で無差別な虐殺を行い、漢の皇族の陵墓を荒らし、皇帝を軟禁し、孔子の子孫孔融や品行に評判のあった崔エンを冤罪等で粛清して後世の非難を買いました。彼の治世では圧政が行われ、人々は常に監視され噂話すら迂闊には出来なかったと陳琳の檄文が記す程です。



一方劉備は上下に拘る事無く人民と交わり、窮地の際に取った道義に悖らぬ行動で後世の学者を感嘆せしめ、諸葛亮等といった賢者の助言を良く聞いて善政を敷きました。



何も後世が異民族と曹操を重ね合わせたとかいうレベルでは無く、始めから曹操は末世から糾弾されて然るべき行動を取り、反対に劉備は称賛されるであろう行動を取っていたわけです。


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演義が日本では人気だからです。

演義は小国の蜀を正義にして大国魏を倒そうとする様で話を面白くしてますから。

実際は曹操の政治は見事です。


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蒼天航路って漫画は曹操を中心に描かれたもので見方がだいぶ変わりました。あまり三國志は詳しくないですが。面白いですよ。


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儒教の影響がある、と聞いたことがあります。

演義を読むと、忠孝思想が色濃く出たエピソードが数多く挿入されていますよね。

儒教的な視点から見れば、漢王朝を私物化し、簒奪した魏は悪、漢王朝を再興しようとした蜀は正義と、そんな感じになるわけです。

曹操の人妻大好きなところもマイナスかもしれない(笑)



また、他の方が書いているように、物語としたら下からはい上がった劉備のほうが面白く描けるのも間違いないでしょう。


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最初から有利な者が、ずっと有利なまま、最終的にも「勝者」で終わる…こんな講談を喜ぶ人間は、そんなにいないかと

あと、堅実な領国経営を全うした孫氏も、主役とするには地味



地元では全盛を敷き人望厚い吉良義央が「悪玉」とされたのと同じで、現実の姿と描かれ方は、あまり関係ないです


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時代背景がそうさせた、としか言いようがないですね。



曹操が統治した北部は晋の時代を経てから度々異民族の侵略に

あっています。漢民族は南方へ退き、中原の回復を思うようになる

のです。



そういう己の立場を、同じように蜀と言う地域に篭り、中原で漢王朝

復興を夢見ていた劉備達と重ねるようになっていったのです。そうなる

と曹操の立場は侵略してきた異民族に重ねられてしまい、結果として



劉備=善玉、曹操=悪玉



と言う図式が出来上がるのです。



実際は曹魏だったからこそ、あの時代北部は異民族の侵攻を防ぐこと

が出来ていたのですけどね。そういうことはすぐ忘れられ、不幸な境遇

に無理矢理重ねられ批判され続けた曹操は・・・まあ死んだ後の評価

を本人はあまり気にしてないかもしれんですね。


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異民族を統率するには、厳罰主義だからでしょうね?「今も変わらないが…」

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