三国志の時代の中国人は身長が高かったのでしょうか?
その時代くらいに作られた兵馬ヨウという等身大の兵士の像は優に180㎝くらいあるし三国志に出てくる人たちもほとん
ど190とか180㎝後半で記されてます。
実際に体格のいい人がたくさんいたんですかね
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古代中国の単位は時代によって微妙に違いますし、現在の寸法単位とも違います。
昔の人達の平均身長は今と比べると、かなり低かったみたいです。
例えば、1945年頃の日本の20歳男子の平均は162cm、
戦国時代の男子の平均は158センチと言われていますから、
今の女性平均ぐらいの身長だったみたいですね。
(現在の日本の20歳男子の平均は171cmぐらい)
身長はその時代の栄養状態や主食、
生活環境でだいぶ変わってくるものでしょう。
今は、日本人に比べて大柄であるヨーロッパ人も、
18世紀頃は戦争続きで栄養状態が悪くて、
平均は140センチ~150センチ程度だったと言われています。
ご質問にある三国志時代(3世紀頃の中国)は、
わりと栄養状態が良かったらしく
150㎝の男は小さい方だったと言われています。
先の回答者さんも仰っていられるように、英傑と呼ばれる人物は、
容姿も大事でしたので、長身が多いですね。
ちなみに、時代による寸法は以下の通りです・・・。
【後漢時代】
分(cm):0.2302
寸(cm):2.304
尺(cm):23.04
丈(m):2.304
歩(m):1.3824(6尺)
里(m):414.72(300歩)
【魏】
分(cm):0.2412
寸(cm):2.412
尺(cm):24.12
丈(m):2.412
歩(m):1.4472(6尺)
里(m):434.16(300歩)
【21世紀中国】
分(cm):0.333
寸(cm):3.33
尺(cm):33.3
丈(m):3.33
歩(m):1.666(5尺)
里(m):500(300歩)
【日本】
分(cm):0.303
寸(cm):3.03
尺(cm):30.3
丈(m):3.03
歩(m):3.03
里(m):3927
兵馬俑の平均身長は180cmと言われています。
始皇帝の秦代は、
西戎(中国西方の未開の民族、チベット民族やペルシャ民族ですね)
の民族が治めた時代です。
普通の東洋系民族ではなく胡人のような屈強な男を集めた軍人なら、
当時の東洋系民族よりは大きいかもしれませんね。
また、実際より5%ほど誇張して造られたともいいます。
それを考慮すると170~172cm程度、ある程度信憑性も出てきますね。
三国演義でいうと、当時の一寸が23cmとされていますので、
関羽・207cm、張飛・192cm、孔明・184cm、
劉備・173cm、曹操・161cm・孫権・182cmとなります。
曹操がチビ(これ差別用語ですかね。ごめんなさい)なのは有名ですね。
これが、正史に身長を描かれている人物を
[後漢]《魏》時代の寸法に置き換えると、
【魏】
程昱:八尺三寸[191.232cm]《200.196cm》 「三国志」正史・魏書[程昱伝]
許チョ: 八尺余 [184.32cm]《192.96cm》以上
「三国志」正史・魏書[許チョ伝]
【蜀】
劉備 :七尺五寸[172.8cm]《180.9 cm》 「三国志」正史・蜀書[先主伝]
諸葛亮: 八尺 [184.32cm]《192.96cm》「三国志」正史・蜀書[諸葛亮伝]
趙雲: 八尺 [184.32cm]《192.96cm》
「三国志」正史・蜀書「趙雲伝」/裴松之注「趙雲別伝」
譙周 :八尺 [184.32cm]《192.96cm》「三国志」正史・蜀書「譙周伝」
【呉】
太史慈:七尺七寸[177.408cm]《185.724cm》
「三国志」正史・呉書[太史慈伝]
陳武:七尺七寸[177.408cm]《185.724cm》
「三国志」正史・呉書[陳武伝]
董襲:八尺[184.32cm]《192.96cm》「三国志」正史・呉書[董襲伝]
諸葛恪:七尺六寸[175.104cm]《183.312cm》
「三国志」正史・呉書[諸葛恪伝]/裴松之注「呉録」
【後漢】
劉表:八尺以上[184.32cm]《192.96cm》以上
「三国志」正史・魏書[劉表伝]
馬騰:八尺以上[184.32cm]《192.96cm》以上
「三国志」正史・蜀書「馬超伝」/裴松之注「典略」
正史に関羽や張飛の身長の記載が載っていないのが気になりますね。
ちなみに、
劉備の家の桑の木高さ:5丈 [11.52m]《12.06m》
許チョの腰まわり: 十囲(囲は五寸)[115.2cm]《120.7cm》
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あれだけ人口がいれば、長身の人もいますよ。
長身だったのではなく、長身の人じゃないと出世できなかったのです。
案外知られてませんが、漢~唐代は「優れた才能は、優れた容貌に宿る」と考えられ、涼やかなハンサムで、きりっとした長身じゃないと馬鹿にされ、出世できなかったのです。
たとえば、地方の名士で人望広いジュンイクが、スマートな長身でハンサムだったことはよく知られています。口の悪いデイコウに「お葬式向きの顔」と言われています(たくさんの客を迎える時の、看板向きという意味ですね。看板だから中身は空っぽ・・・という意味があったのかどうかは、定かではないですが・・・)。
曹操が非常にコンプレックスを感じていたのは、チビだったこと。160そこそこで、匈奴の使者が来たとき、見栄えのいい家臣を替え玉にしています。真の実力が問われる乱世じゃなきゃ、歴史の表舞台に立てたかどうか・・・。
つまり歴史に名を残すような人は、のっぽが多かった・・・というだけで、みんなそうであったわけではありません。
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古代中国で「成人男性」を意味する「丈夫」とは、身長1丈=10尺です。
周の1尺は今の約30センチではなく17~18センチなので、180センチを超えれば巨漢の部類です。
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時代的には考えにくいですね。
まあ、「白髪三千丈」という国ですから。
日本でもそうですよ、なにかと
「身の丈八尺」ですし。
10~30%は誇張です。
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