三国志について
三国志演義と三国演義、
どちらが正式なんですか?
正式があるならば、もう一つの方は、間違った使い方なんですか?
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本場中国では「三国演義」で統一されているようです。
かといって、「三国志演義」が間違っているわけでもありません。
小説である『三国志演義』の書名の変遷は、
明清の諸版本や筆記、蔵書家の目録などを見ると、
明代の諸本で用いられている書名は、
(1)「『三国志』+伝」、
(2)「『三国志』+(通俗)演義」、
(3)「(通俗)演義+『三国志』+(史)伝」という複合式名称、
(4)「『三国志』」という簡略名称
の4パターンに分類できます。
明代では僅かに楊美生本の封面に、
「三国演義」という文字が見えるだけとされます。
明代に書かれた、
中国の通俗歴史小説である「羅貫中」の原著は、
書名が、「三国志伝」あるいは「三国志(通俗)演義」であった筈です。
清の劉廷璣が著した『在園雑誌』では、
陳寿の歴史書を指す場合には「三国志」、
羅貫中の小説を指す場合には「三国演義」と、
明らかな使い分けが見られ、
小説が「三国志」という歴史書の名前を用いることを、
非難している口吻から、
劉廷璣があえて「三国演義」と呼ぶことで、
小説を貶めていた可能性があります。
当時、文人たちの「小説」の評価は低く、
小説軽視の姿勢がこの「三国演義」という呼び方を生み出し、
結果的にそれが世に広まったのではないかとされます。
清代より「三国志演義」「三国演義」などと呼ばれ、
一致を見ませんでしたが、
現に、
魯迅『中国小説史略』、
胡適『白話文学史』が全て「三国志演義」という名称を用いていました。
新中国成立後は「三国演義」に統一され、
現在の中国では全て「三国演義」と呼称されているようです。
また、
嘉靖本の版本名から、
「三国志通俗演義」という名称が用いられることもあります。
日本では、戦前から幸田露伴、久保天随などが、
「三国志演義」あるいは「演義三国志」という呼称を用いており、
戦後も立間祥介の訳本は『三国志演義』であり、
研究者の呼称も同様でした。
ということをお知りになりたいと推測して、話を進めましたが、
良かったんでしょうか?
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正史の「三国志」と史実を元に脚色した「三国志(通俗)演義」があります。
正史の「三国志」は歴史書、「三国志演義」は小説ととらえていいと思います。
「三国志演義」は施耐庵または羅漢中という人によって書かれたとされています。
(三国演義は正式な名前ではありません)
歴史書である「三国志」は蜀漢と西晋に仕えた陳寿が、西晋に仕えていた時に著したものです。
三国志の名場面とされているところのほとんどは、「三国志演義」によって脚色されたものです。
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