三国志の正史と演義はどのような点が違うのでしょうか?
|||
正史は歴史書、演義は小説。まず書物の立ち位置が違います。
それと正史は勝者の歴史だから都合の悪いこととかは書かれない
とありますが、これは三国志では半分間違いで、三国志は三国
共勝者になるので、どこも悪くは書き難い。
袁紹とか呂布、董卓とかは割を食っている可能性はありますが。
もし本当に魏に肩入れしてたら呉と蜀はそもそも偏狭の反乱軍と
してしか認識せずに史書としてまとめられることもなかったでしょう。
正当性の主張とは別に呉蜀とも記録されているのは陳寿が蜀の
出身であることと無関係ではないと思います。
さて、だらだらと書いていますが、正史では一応三国とも勝者側と
して記録が残っていますが、一応漢から直接継いだ、と言うことで
魏を正統としています。
ただ、漢民族は徐々に北方の異民族の侵攻を受けて、勢力域を
長江以南へと移して行きます。それと共に北方を支配する異民族
を魏になぞらえ、逆に自分達が領有する南方を蜀に置き換え、蜀
を持ち上げ、魏を貶めていくようになっていくのです。
それの集大成が三国志演義になる訳ですね。これが作られたのは
1100年ごろ?三国志の時代からずいぶん年数が経っています。
この頃にはもう完全に劉備善、曹操悪、と言う図式になってしまい、
主役は蜀へと移っているのです。
書物の形式、それと成立年代、この辺りが大きな違いになりますか
ねぇ。
|||
分かりやすく現代に置き換えれば日本の戦国時代とそれをモチーフにした大河ドラマみたいなもん
三国志正史っての実際の歴史で演義ってのはそれを何百年もあとの人がおもしろいように作った物語
|||
質問者さま
kkketzuさまが
「正史が魏を引き継いだ形の晋が編纂したものであるため
どうしても魏の正当性を主張するように書かれている~」
と言及なさっていらっしゃいますね。
確かに基本的にはその通りで
”王朝公認”
と言うことは
”その王朝について不都合なこと”
は改変・脚色などされてしまう可能性があり、その意味では
「正史」
は必ずしも100%信頼できる、と言うものではないからです。
ですが、一応彼ら編史官たち(歴史編纂に携わった担当官たち)
の名誉のために言っておきます。
「嘘の歴史を後世に残すわけにはいかない」
と毅然とした態度をとった者も編史官のなかには大勢います。
(例・三国志の時代ではありませんが”崔杼弑君”)
そのことはぜひ心の片隅にとどめておいてください。
|||
正史と演技では、正史が歴史書としての「正しさ」が前提条件として書かれている一方演技は「物語」として書かれているという違いがあります。
具体的にはどうかという質問ですが、演技のほうでは有名な義兄弟の契りがありますが、これは正史にはありません。義兄弟の風習は当時北方遊牧民の文化から広まったもので、かつての三国時代には存在しませんでした。
また、正史が魏を引き継いだ形の晋が編纂したものであるためどうしても魏の正当性を主張するように書かれている一方で、演義のほうでは当時のホップからの異民族王朝の圧力ということから自らと境遇の重なる蜀に重心が移っています。
代替自分が知っているのはこれくらいです。
|||
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014707545です。
0 件のコメント:
コメントを投稿