三国志について!
三国志に興味があったので、児童文庫を軽く読んでみようと思いました。ところが、読んでも意味がわからなすぎて、読もうにも読めません。
それぞれ、できるだけバカな私でもわかりやすいように教えてください。
まず、①題名の「三国志」の意味(三人が国を志した?)
②しょく、ぎ、呉の意味(中国の昔の地名ですか?)
③本の主要人物紹介に、劉備(玄徳)、関羽(雲長)諸葛亮(孔明)等書かれていますが、()の意味はなんですか?あだ名を表しているのでしょうか?名字?
意味がわかりません。
最後に、児童文庫でも意味がわからないので、参考書とかで中国の歴史を調べてから読むほうがよいでしょうかね?
宜しくお願いします。
|||
1.古代中国で国が3つに分かれ(魏・呉・蜀)成立し滅びるまでの話…という感じの意味
2.三国志のおもな舞台となる国名です。
3.字(あざな)と言って、姓と名のほかにもうひとつの名前があります。他人がある人の本名をそのまま呼ぶ事は中国では忌み嫌われていたらしく
本名とは別に、字(あざな)がついていたそうです。字の不明な武将もいます。
たとえば劉備の場合は、劉(←姓)備(←名)なので、名を入れず「劉玄徳」と書かれることがあります。
三国志は漫画になっているものも多数見かけるので、その中で興味をひかれたものを読んでみるのもいいかもしれませんね!
ゲームができる環境なら「三国無双」シリーズをやってみるのもいいかもしれません。
私の周囲にはここから三国志にハマった人間がとても多いです(;´Д`)
|||
①三国志の意味は三つの国(魏、呉、蜀)がそれぞれの志(こころざし)という意味です。簡単にいえば中国大陸統一ということです。
②蜀、魏、呉の名前は地名です。
③玄徳や孔明などの名は字といい、今で言う名前です。
|||
以下、長文で失礼いたします。
まず、『三国志』という題名について。
『三国志』の『志』の字には「しるす」、「記録」といった意味があります。ですから、『三国志』という題名をわかりやすくすると、「三つの国の(歴史の)記録」といった感じになります。
『三国志』は、2世紀の終わりごろから3世紀の終わりごろまでの約百年間の中国の歴史です。
この時代、中国では全土を統一していた漢王朝が衰退し、群雄割拠が進みます。その中から、三つの勢力が生き残り、国をつくります。この三つの国の名前こそが、蜀であり、魏であり、呉なのです。
つまり、蜀、魏、呉の意味は、『三国志』の中では、「国名」ということになります。
蜀は、劉備が建てた国の俗称です。
魏は、曹操の国の名です。建国時、魏という郡に本拠をおいていたことに由来する国名です。
呉は、孫権の国の名です。孫権がはじめ、呉という郡に本拠をおいていたことに由来する国名です。
最初の本拠の名前を国名にするというのは、中世ぐらいまで中国のスタンダードであり続けます。
つづいて人名についてですが、関羽(雲長)を例にして説明します。
この場合、「関」は姓、「羽」は名、そしてカッコ内の「雲長」は字(あざな)というものです。
昔の中国では、名を呼ぶことは大変に失礼なこととされていました。ですからお互い、あざなで呼び合ったわけです。
とはいえ、目上の人に対しては、あざなで呼ぶことも失礼にあたるので、役職名で呼びます。関羽の場合は、おそらく将軍、または関将軍、などと呼ばれていたものと思われます。今でいう「麻生総理」、「オバマ大統領」、などと同じよびかたです。
三国志に親しむには、ほかの方もおっしゃっていますが、漫画やゲームから入るのもよいかと思います。そのうえで、次のような本も読まれてはいかがでしょうか。
渡辺精一 『三国志英雄伝』 小学館 1994年
山口修 『中国史55話』 山川出版社 1996年
つたない文ですが、お役に立てたでしょうか。
|||
三国志と言う名前は陳寿という歴史家が書いた歴史書にちなんで呼ばれています。
三国が中国統一を目指した
歴史書は〇書や、〇史が多いので〇志という名は珍しいですね。
②魏と呉は地名かと
蜀:元々、劉備達は漢の正当な流れと称した為「漢」という国名でしたが、後世の歴史家が前漢と後漢の漢と区別する為につけた名で「不快な虫」と言う意味もあります。
③()内は字と呼ばれるその人が成人した時に付ける名前です。
長男には伯(孫策は伯符)(曹操は孟徳)
④簡単に読める本ならば、「十八史略」です
|||
①三国志の意味: 統一王朝である「漢 かん」が衰退し、その衰退とともに、天下を望む兵が台頭します。
「曹操孟徳 そうそうもうとく」「孫堅文台 そんけんぶんだい」「劉備玄徳 りゅうびげんとく」の3人です。
それぞれ「魏 ぎ」「呉 ご」「蜀 しょく」という国の基礎をなします。ひとつの国(現在の中国)が3国に分裂したわけです。
*呉については、孫堅の息子である「孫策伯符 そんさくはくふ」が領土を広げ、弟の「孫権仲謀 そんけんちゅうぼう」が発展させました。
オヤジ様と息子が日本語読みだと同じ「そんけん」なのでややこしいですが・・・。
②分裂した各国の名称です。ただし実際には「蜀 しょく」という国は存在しません。どういうことかというと、蜀のボスである劉備はあくまでも『漢王朝の再興』を目指しており、自国を「漢」と名乗りました。便宜上「蜀漢 しょっかん」とされており、こちらの方がメジャーです。蜀は中国の地方名です。
③例えば「劉備玄徳 りゅうびげんとく」ですと、日本で言うところの苗字が「劉 りゅう」、名前が「備 び」です。それ以降の「玄徳 げんとく」は字(あざな)です。いわゆるミドルネームですね。
例えると、「劉さんのところの、備君って賢いよね~。」とでも表せばわかりますでしょうか?(笑)
字(あざな)に関しては、成人(元服 げんぷく)するとこの字を受けます。通常は「苗字+字」を呼称としますので、「劉 玄徳 りゅうげんとく」「曹 孟徳 そうもうとく」「孫 仲謀 そんちゅうぼう」という表記が度々されるのも、このせいです。
また、元服(当時は10歳前後だと言われています)後に名前で呼ぶことは大変失礼なことだとされていましたので、ごくごく親しい身内しか使うことはなかったようです。
ちなみに集
・では三国のうちどこが中国を統一したのか?: 「魏」ということになります。が、実際は魏に仕えた「司馬懿仲達 しばいちゅうたつ」の孫である「司馬炎 しばえん」がクーデターにより「魏」を奪取、その後「晋 しん」という国を建国し、統一されました。
いちおうは「魏」が統一したといってもよいのでは。
・一番長く続いた国は?: 「呉」です。天下統一をなした「魏」のようにも思われますが、クーデターにより本来の魏国は消滅しています。蜀→魏→呉の順で滅んだとされています。
ちなみに、魏・呉は跡目争いによる混乱とクーデター、蜀は魏に降っています(劉備の息子「劉禅 りゅうぜん」の代で、あっけないものでした。もちろん「諸葛亮孔明 しょかつりょうこうめい」没後のことです。)
|||
大雑把に言いますと三国志は当時の中国に存在した三つの国の物語という意味だととらえてはいかがでしょう。その三つの国の名前が魏・呉・蜀です。
()内は字というものです。ただこれは理解しなくてもとりあえず話は理解できるはずなので無視してください。劉備の場合、劉備を苗字、玄徳を名前ととらえて読んでもいいかと思います。(他の方も説明してみえますがこれは間違いです。が、児童文庫で読むにはまあこれでもいいでしょう)
児童文庫で読んでもよく分からないなら学研だったかが出している「中国の歴史」の学習漫画のこの時代を読み、その後横山光輝さんという方の漫画を読まれてはいかがでしょう?