2012年2月25日土曜日

三国志は日本では蜀を基本に本などが作られている と聞いています 本場中国では魏...

三国志は日本では蜀を基本に本などが作られている

と聞いています

本場中国では魏を中心とした物語になっているそうです



中国と日本の三国志の内容ってやっぱ違うんですか?

おおきく違っている部分を教えてください


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三国志は魏を受け継いで中国全土を統一した晋の時代に書かれた書です。

それで魏を中心として記述されています。

ただし三国志の時代中国全土は魏呉蜀に分裂していて魏が漢の皇帝から禅譲を受けたと称しても蜀の劉備が漢王族の後裔として皇帝を名乗る根拠はあったのです。

つまり中国全土を統一していない魏王が漢の皇帝を廃して皇帝となるのは簒奪です。一方漢の皇帝が廃されたからには漢の後裔である劉備が皇帝を称するのは当然です。

蜀が魏に滅ぼされたとき漢王朝の終焉と言うことも出きます。この直後魏は晋に変わって晋が呉を滅ぼして中国全土を統一したのです。

中国の正統的見解では漢王朝は蜀が滅びるまで続いたとされています。



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同じ三国志演義でも、日中の違いはあると思います。

日本版で言えば、やはり吉川栄治、横山光輝の

二大巨匠による三国志の影響力は外せないでしょう。



しかし、この「日本版」と中国版の三国志は各種方々で違っています。

三国志演義が成立した時代には、関羽は神として相当有名になっており

既に別格扱いで作中では関羽とは呼ばれず関公と呼ばれることが多く

この通称は今でも健在です。

関羽が討ち取られた時、曹操が関羽の首に「お変わりなく」と話かけると

目玉がギョロと動き、曹操を凝視し曹操が腰を抜かすほど驚いた話。

劉備が人肉を喰らう話などもあります。



しかし、上記の事柄は「日本版」ではカットされています。

そして、曹操の格上げにも貢献しているのが日本版の特徴的な部分で

中国の三国志演義ではひたすらに悪役道一直線、といった感じです。


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三国志には、いわゆる歴史書としての三国志(正史三国志)と読み物としての三国志(三国志演義)と2種類あります。

前者は歴史上に起こった事を正しく記しているのに対し、後者は正史を元に作られたフィクション作品です。



日本では演義の方が一般的に知れ渡っています。

演義は蜀中心で描かれているので、日本では蜀のストーリーが一般的な訳です。



内容は大体同じですが、細かい所が違います。

有名な桃園の誓いも、実際は桃の木の下で杯を交してはいない、とか。


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正史三國志(陳寿撰上)と三國志演義(羅貫中作)と混同していませんか?正史は正式な歴史書で蜀の旧臣の著作ですから、司馬一族の臣従していた魏を中心にしています。演義は勧善懲悪的講釈本ですから、滅びゆく後漢帝国を守ろうとする蜀漢の劉備を善人として著作されているだけです、日本とか中国とかは関係ありません。(内容は別物と考えてください)

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