2012年2月25日土曜日

三国志の演義と正史って何ですか? 基本的な事をすみません。三国志の質問によく...

三国志の演義と正史って何ですか?

基本的な事をすみません。三国志の質問によく演義と正史とみるのですが何の事かイマイチよくわかりません。教えてください。


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『正史』は、王朝が認めた歴史書、

『演義』は、正史を元にして描かれた小説物語です。



講談などから発展して作られた通俗小説である『三国志演義』が

日本では「三国志」として流通し、

また作家吉川英治さんが演義を元にして

著した小説『三国志』があまりにも有名になったため、

日本の三国志愛好家の間では、

『三国志演義』やそれにもとづいた文学作品を『三国志』あるいは『演義』、

歴史書の方を『正史(あるいは『正史三国志』)』と呼び分けます。



【正史三国志】



中国に24(または26)存在する、

主に国家によって公式に編纂された王朝の歴史書の1つです。

『三国志』の場合、

三国を統一した王朝で、

編纂された時期の王朝「西晋」が、認めたことになります。



西晋代の人陳寿(ちんじゅ233年~297年)により

西暦280年~290年頃に編纂されたといわれます。

「魏国志」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、

「蜀国志」15巻、「呉国志」20巻、計65巻から成ります。



陳寿は『三国志』を記述するにあたって

信憑性の薄い史料を排除したために、

『三国志』は非常に簡潔な内容になっていました。

そこで、南北朝時代の宋の文帝時代に、

裴松之(はいしょうし372年~451年)が注釈を付けて、

元嘉6年(西暦429年)上表と共に提出しました。

これが、このカテゴリーで出てくる『正史三国志』です。



前段で述べたように、『三国志』は、非常に簡潔ですが、

主要な登場人物のプロフィール(生まれてから死ぬまで)を

羅列した書き方のため、



(~伝と個別に挙げられている人数:

魏書228人.蜀書83人.呉書129人.計;440人

名前が載っている人数:4894人[訳本8巻人名索引参照])



他の正史(例えば司馬遷の史記)と違い、年代が繋がっておらず、

大変読み辛く(えっ、もしかして私だけ?)、

日本語訳文庫本で8巻(ちくま学芸文庫)で約3400ページ、正直疲れます。



とりあえず正史とされる歴史書ですから、

書かれていることは事実です(だと信じたいとおもいます。)

裴松之が注釈を付け、

陳寿の触れなかった異説や詳細な事実関係を収録して、

読みやすくしてくれましたし、

話としては面白いのですが、逆に信憑性に欠ける逸話も数多く収録されており、

説話の題材にも取り入れられていきました。



【三国志演義(さんごくしえんぎ)】



明代に書かれた中国の通俗歴史小説です。

四大奇書の一つとされます。

『三国演義』、『三国志通俗演義』、『演義』と呼ばれることもあります。

著者は「施耐庵」あるいは「羅貫中」(生没不明)であるとされます。

『三国志演義』は版本も多数ありますが、

現在、多く流布している版本は

清の毛宗崗が校訂・加筆を行った「毛本」と呼ばれるものです。



日本ではしばしば単に『三国志』と呼ばれますが、

『三国志演義』は、講談で語られてきた物語と

、陳寿が編纂した歴史書『正史三国志』の伝える逸話を

綜合してつくられた小説作品で、『正史三国志』とは異なる作品です。



『三国志演義』の前半は

「仁徳の人」劉備(善=蜀)と「奸雄」曹操(悪=魏)の対比を軸に展開します。



このあたりの勧善懲悪のストーリーが、

本能的に任侠モノを好む日本人の心を捉えているところだと思います。



後半の主人公格である諸葛亮が登場すると、

物語は彼の超絶的な知謀を中心に展開し、

五丈原(諸葛亮の陣死)に最高潮を迎え、

一気に収束します。



このあたりも、正義の味方、ヒーローモノに敏感な

日本人の琴線に触れるのではないでしょうか。



作中のエピソードは史実に多くの脚色が施されて作られていますが、

重要な戦いの勝敗や重要な事件の結果はほぼ史実通りです。

また、登場する地名・官職名・武器防具などは

三国時代の時代考証からみて不正確なものも多いためか、

よく、この中国史カテゴリーで議論の的になります。



このカテゴリーのご質問の内容も、

「演義的に言えば~」の内容が8割くらいを占めるのではないでしょうか。

突っ込みどころが満載ですから・・。

そこが『三国志』の魅力で、夢があって、面白いところですからね。



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正史は、自分の王朝が正統であることを証明するために書かれた歴史書です。だから、都合の悪いことは省かれたり、改ざんされてることがよくあります。

演義は、歴史小説ぐらいに思えばいいと思います。

三国志演義を書いた羅漢中は、元末明初の人なので三国時代から考えると1300年以上隔たりがあります。三国志を書いた陳寿は晋の人なので時代的隔たりはありません。こういうことを考えると、三国志のほうが史料として確実なので、実際にあっただろうということ考えるとき、三国志をもとにしています。1300年以上の隔たりといってもあまりピンとこないかもしれませんが、西暦700年ぐらいの日本がどういう状況だったかを示す史料がどれぐらいあるかを考えてみれば、わかりやすいかと思います。


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東漢末年,也就是漢獻帝的時候,產生了三國年代。陳壽出生於三國晚期,是蜀國人,後歸晉。他寫了《三國志》,因為他本是蜀國人,所以稍微有點偏袒了劉備(蜀國),但他基本上是遵循了歷史。 《三國志》寫的很簡短,而且有的地方模糊不清,有的地方讓人有異議,後來裴松之根據其他的比如野史,民間傳說,各縣誌等等做參考,給《三國志》做了注,一般認為比較權威。

至於《三國演義》,它誕生於羅貫中,晚了好多年的事了,裡面的主體發展是真實的,但好多細節都是根據傳說,或自己加工了。很簡單的例子,赤壁之戰裡,諸葛亮草船借箭,借東風,黃蓋苦肉計,蔣幹盜書等等,這些都是不存在的事情。諸葛亮歷史上只是一個政治家,他不是軍事家,也沒有空城計。

但是如果按照歷史原本原的寫,那麼沒多少人喜歡看的!呵呵


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三国志の場合

正史は晋の歴史家でる陳寿による『三国志』



これに裴松之が注釈をつけました



そして物語としていろんな伝説を含んだ平話という形で人口に膾炙されます



この平話をまとめて編纂した羅貫中の『三国演義』です



陳寿の『正史』と羅貫中の『三国演義』には1000年以上の隔たりがあり



三国演義(日本では単に三国志又は三国志演義というのが一般的)は大筋では歴史通りですが、かなり蜀(漢)側にたった脚色がされています。



日本の三国志演義はほとんどがさらに300年も後の版本である「毛宗崗本」を翻訳したものを底本としています。



ザックリいうとこんな感じです


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正史は歴史上の事実。演義は史実を元に脚色された物語。

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