2012年2月22日水曜日

三國志について 三國志は架空の話だとこの前友人に聞きました。 三國志はいつ誰...

三國志について



三國志は架空の話だとこの前友人に聞きました。



三國志はいつ誰によって書かれたのか

わかる方いらっしゃいましたら回答お願いします。


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三国志とは後漢末、西暦180年ごろから晋王朝が中国全土を

統一する西暦280年ごろまでの約100年間をまとめた歴史書

です。



著者は陳寿と言い、晋に仕えた人物で三国志自体が作成された

のは284年頃だったかと思います。



この歴史書は当時活躍した人物達の記録を個々にまとめたもの

(紀伝体と言う歴史書の書き方です)で、多少話によっては矛盾

が見られますが、ほぼ正確な記録として評価されています。



これは陳寿自信が三国志後半とは言え、同時代を生きた人物で

あったことが大きいと思います。時代を経るごとに資料は散逸して

しまい、正確な情報は薄れていくものですからね。



また陳寿自身、誇張表現をあまり好まず、資料の精査を行なって

明らかにウソ、と思われるようなものを省いていったことも大きかった

と思います。



そういった陳寿の姿勢等もあいまって、三国志は各王朝の正史の

中(王朝ごとに正史は存在し、中には荒唐無稽な話ばかりで悪書

と評価されているものもあります)でも良書として評価されています。



まずは架空でない三国志について長々と書きました。



これとは別にもう一つ三国志は存在します。中国では三国志演義

と言われていますが、日本でこの三国志演義を基に吉川英治氏が

「三国志」と言う小説を作り、これがベストセラーとなりました。また、

その小説をベースに横山光輝氏が漫画の三国志を作り、これもまた

人気になりました。



このため、日本では三国志と言えばこの小説と漫画の三国志を指し、

正史の三国志との区別が非常につき難くなっております。



それで問題となる三国志演義とは何ぞや、となるのですがこれは正史

三国志を基にいろんな民間伝承や講談などを取り込み、また物語と

してメリハリをつけるために勧善懲悪モノにしたお話で、三国志の時代

からおよそ千年後ぐらいに羅貫中と言う人物によって作られたものです。



善は劉備及びその配下、悪は曹操及び孫権(とその配下達)。



そのため、善行は劉備やその配下達の役割にし、悪行は曹操や孫権

の役割にするなどの改変や創作が行なわれています。また千年の時間

を隔てているため、武器や物が三国志当時の頃から乖離していたり、

地理がめちゃめちゃだったりしています。



友人が架空の話と言っているのは、まずこの三国志演義のことを指して

いるのだと思います。こちらは明らかに創作されたものですから。



正史の方に関しては一部間違い等があったりするかもしれませんが、

少なくとも事績に関する記録としては正確であったと考えられ、これを

架空の話と言うには無理があると考えられます。



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架空というのはちょっと言い過ぎです。三国志には、正式な歴史書と言われる三国志(魏志、呉志、蜀志;陳寿)と演義と言われる、講談の種本の2つがあります。

お友達は演義をさしてフィクションだという意味で言ったのではないでしょうか。確かに演義は史実に合わない部分がたくさんありますが、大まかな流れは歴史にのっとっています。宋の時代にはすでに有名な出し物だったようで、羅漢中か施耐庵が元末から明初のころにまとめたと言われています。

ただし、正史のほうも結構主観的ですし、世界中のすべての歴史が客観的で事実とはいませんけどね。


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三国志は架空ではないです。

日本で三国志といえば「三国志演義」という小説を指しますが、これは羅貫中(らかんちゅう)という人物が書いたものです。分かりやすく言えば忠実の三国志を面白く書き直した作品です。しかし忠実の三国志でも劉備や曹操は登場し熾烈な争いを繰り広げます。


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三國志は架空の話なんかじゃありません。

日本人に人気のある三国志演義が創作エピソードを含んでいるというまでのこと。三国志演義は1000年も後の歴史小説ですから、それは当然のことです。

三国志演義は日本では単に三国志と省略されていますが、本来の三国志は中国の正史の歴史書であるのです。決していい加減なものではありません。

本来の三国志は西晋に仕えた陳寿が書いたものです。

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